愛ー嬉しいね・楽しいね・心地いいね
では改めて振り返らせて頂くこととします。
コンサート会場に向かう途中身体がつらく、ノートに書き出すと、「なにか違う。中身がない。」との言葉が産まれました。中身とは何だろうと問いながら向かい、「魂が揺れています」とのメッセージにドキリとする。大きく頷いてこれはしかと聴かねばと思うも、まるで酔っぱらってしまったかのようにふらふらし始めた。おそらく寝てはいなかったかとは思うが、第一部はほとんど意識がなかった。理屈で膨らんだだけの風船は飛ばない、との言葉だけが浮かんだ。
そして第二部。「愛は大いなり」のメッセージに嬉しくなり改めて大きく頷く。
『「愛」は絶えず、はたらいています。頭脳に認識されないだけです。認識できない頭脳により愛を語ります。言葉以前に「愛」があり言葉によりあらわすのがなかなか難しいのが「愛」であるのは承知のことでしょう。それにもかかわらず、愛を語ります。「愛」をわからずして幸せも健康もありません。「愛は大いなり」』
まさに偉大。本当に大切なことを伝えてくださりありがとうございますの気持ちが止めどなく溢れ、涙と変わる。気持ちいい。評価を求めると何もできなくなってしまう。なぜならそこには愛がないから何も湧いてこないのだ。
あらためて、身体全体で聴こうと心を決める。ただし今回はいのちへの愛をもって、だ。
嬉しいね。楽しいね。心地よさとともに感謝の気持ちが溢れる。
最中ではあるが、改めてウェブサロンの高麗さんの文章をあいの目線で拝見させて頂こうと決める。
ああ~自分みみっちいなあ。よく愛のないことを何十年も続けてこられたなあ、と息を吐き、ごめんなさいと呟いた。解釈に逃げてはいけない、楽だけど、そこには愛がない。一流かそうでないかなんて評価、じつはどうでもよかったのだ。
まるで家族との楽しいおしゃべりの時間のような演奏。永遠に続けばいいのに。
限られた時間のなかでせかせかと生きますか?それとも無限の世界の住人として生きますか?との問いが産まれ、私は、「無限の世界の住人として生きます」と答える。
思い込みや間違った価値観のなかで生きざるを得ないことほど苦しいことはない。今までつらかったね。苦しかったね。解放されていいんだよ。本当のことが言えなくてつらかったね。脳は苦しいことの貯蔵庫が主な使い方じゃないんだよ。頑張って頑張って。でも見失ってしまっていたけど。いつも認識の外で愛は働いてくれていた。ありがとう。ありがとう。
先生、今いちばん必要なことをいつも伝えてくださりありがとうございます。
自分の意識で操作するようなちっぽけな枠に気づかせて下さり、本当にありがとうございます。
浮かんだ言葉をひたすらに書かせていただきました。
アンコール、先生の嬉しそうな笑顔にほっとする。ガチガチの男性的なリードのそれではなく、やさしく、元気に、拍手。思わず笑みがこぼれます。
愛をだいじにします。どっちつかずで中途半端になっていたり、ひねくれていたり、疎外感に苦しんでいたら、理屈に愛があるのか確認します。やさしさをだいじにします。揺れているのも魂。 ありがとうございました。 中川秀之