愛を、ありがとうございます。
いつも誠にありがとうございます。多くの働きかけ、導きがあり過ごせるいまに感謝いたします。
京都コンサートを越えて、昨日は高麗屋に向かおうとしていたところ、体調がおかしくなり行けなくなりました。状態を考えるきっかけとなりました。
自分は、自分を大切にしているつもりでした。いだきに出逢い、最初は受講生のみなさまの愛あるお言葉や行動に驚いてばかりでした。戸惑いましたし、嬉しくなったり疑ったりと忙しいもので、慣れるまでずっとそうでした。最近は慣れてきて、自分もみなさまを見習い、人に優しくするとはどういうことか感じ動き始めておりました。
ですが、お金や仕事の段となると再び、みなさまの愛が深く大きすぎると感じ、戸惑うことが増えました。そのまま受けとることができず、固まってしまいます。
人生で見返りなく何かをしてもらうことは、これまであり得ないことでした。損得勘定やなんらかの意図なく愛の循環があると、信じられずに生きてきました。私がいだきにいられることは特別で夢のようなことで、みんなが居てくれるだけで有り難いから、その恩返しをしたいと考えていました。
みなさまが褒めてくださっても好きと言ってくださっても、信じることができませんでした。仮にいなくなったとしても仕方がなく、いてくれることが特別なのだから、何かをすることが当たり前と感じていました。ですが、反対にしていただいてばかりで、日に日に戸惑いは大きくなりました。今回の京都コンサートにて、すぐには恩を返せないほどの愛を受け、呆然として途方に暮れてしまいました。
無償の愛を、いだきに出逢ってはじめて経験しました。
迎賓館コンサートにも行けませんでしたが、行けること自体があまりに夢のようなことでした。そもそも、ご招待いただけると想像したこともありませんでした。行けなかったとき正直に「やっぱり」と感じた自分がいました。夢はいつも叶わないと、どこか諦めて安心している自分がいました。
失うことが怖く、手を伸ばすことができませんでした。もう二度と失いたくありませんでした。
コンサートで愛を経験させていただき、みなさまからたくさんの愛をいただけました。これ以上ないと感じております。私が私を大事にすることで、喜ぶ人たちがいることを知りました。大変に有り難いことです。お気持ちに応えたい、と感じます。
大変尊く、学びとなる経験のご機会をいただき、感謝申し上げます。ありがとうございます。