愛の魂
昨日のコンサートにて「最も人間的な『創造的情動』の本質から愛の魂が生じました。」の「創造的情動」の先生のメッセージの言葉に、目覚めるように今まで気づかなかったことに気づきはじめました。一夜明けた今日になると昨日のコンサートでの経験がそうであったと理解出来ます。言葉や理屈にならない魂の感動がありました。只々魂揺さぶられ、感極まり涙こみ上げるのです。先生がメッセージにて「あえて『創造的情動』というのは宇宙空間よりのはたらきにより、ある時は燃えるような創造力を表出することを云います。」とのメッセージの言葉も昨日経験した今になると理解出来ることがありがたいです。私は一部でイエス・キリストの人生に触れ、イエス・キリストを身近な存在とし感じることが出来ました。先生にお会いする前、絶望の淵にあった時、私の生きる唯一の支えはイエス・キリストでした。人間とは何か、人間としどう生きるかを毎日考え生きていました。周りには何一つ手がかりも答えもないと絶望よりない時、2000年前であってもこのように生きた方がおられるなら人間とはイエス・キリストのように生きていける存在なのだと考えたことが唯一の支えでした。イエス・キリストに対しては様々なイメージを抱いてきたと感じます。が、昨夜の先生のコンサートの演奏にて真の姿に触れることが出来、人間としてこれ程の幸せはないと感動に震えました。このような存在を殺してしまうとは決してあってはならないことと後悔では済まされない途轍もない恐ろしいことを人間はしてしまったことに泣くことも許されない悲しみに、ただただ頭を垂れるよりないのです。人類の歴史は尊い生命が犠牲になることが繰り返され、今日まで来たことも映像となって見えました。第二部のメッセージの最後に「今や愛の魂は行き場を見失い、迷いに迷っている…」との表現は現代の状態をそのまま表す表現と深くうなづくよりないのです。「人間本来の美しい生命に寄りかかり、時には倒してしまう理由でもあります。少数であっても愛の躍動を実現するのです。」との最後のメッセージは読むだけで涙にじみました。生命を犠牲にする人類史はこれ以上繰り返すことは出来ず滅びるよりない状況で、ここで何をもって生き延びるかと考えれば、人間が人間になるよりないと行き着きます。愛を抑え込み隠した歴史と感じます。今コンサートホールにて、例え少数であっても愛を経験することは新しい人類史を創る経験と身をもってわかります。この経験より答えはなく先を創ることはない事をよくわかりました。
ソーシャルディスタンスに従い、隣人との距離をとり席に座らせて戴き、大いなる存在の表現である先生の表現をお聴き出来る幸せを生命は感謝し喜び、あまりの光栄な機会に身を置けます事に生命の奥底から感動に震えています。荘厳なるパイプオルガンの演奏をお聴きする時の至福感、神に出会え、人間の真の姿に出会え、最高に幸せを感じます。宇宙空間にいるようなピアノ演奏をお聴きする時、「永遠の今」を生きる生命を分かります。今日も身を置けますことは心よりありがたく、向かわせて戴きます。ありがとうございます。