愛の風
連続コンサートの始まりに生き方を全部変え、環境も変え、3歳の頃より願い続けてきた世界の平和を実現したいと心から願いました。コンサートメッセージはずばり「人生」です。
「大転換期の今、人生をしっかり考え直さないといけない時期になっています。人生と言えば、質の高い人間関係を抜きには考えられません。考えてもなかなか分からないのが人生です。関係といっても、関係以前に心身の感受性が問われます。人間個々の性質です。内面の豊かさをもちろん、未来を直観し、より良い関係を作り、何事も成してゆく命の働きを充実していくあり方、生き方を身につけていただきたいです。」
音は初めから大いなる存在あらわる図形が見え、ずっと見え続ける演奏でした。人生を考えることは子供の頃からの習性です。寝るよりも食べるよりも人生を考えることが優先でした。演奏をお聴きしていると、人生というよりも神の歴史を見るようでした。神の歴史を辿るようにお聴きしました。大いなる存在はずっとあり続けておられたのに、あらわることはなかったこと、今までも形を変え、あらゆる場面で働きかけを注いでくださっていたことに胸熱くなり感謝で一杯です。先生にお会いするまで生きてこれたのは、大いなる働きかけがあったからと身に沁みわかります。私は、イエスキリストに出会い、例え2000年前であってもこのように生きた人間がおられるなら、人間とはイエスキリストのように生きていける存在と考えられたことで生きる希望を見出し、どん底であっても生きていこうとしたのです。生きる支えでありました。自然にキリスト教に興味を持ち始め聖書ばかりを読んでいたので、神観念も作られてしまったことは先生に出会い、気づき始め、まるで洗脳が解かれるような経験をさせていただきました。神の歴史を辿りながら、自分の神との関わりの歴史を辿る第一部でした。途中、モーゼの風と呼ぶ風が吹き、とても愛おしく、爽やかな風を感じました。モーゼの神に出会いにシナイ山に登った時のことを鮮明に思い出しました。シナイ山の麓にあった修道院を見、ここでなら生きていけると感じたことも心の支えになっていました。神が共にあれば生きていけると感じたのです。私の人生は神と共にありたい人生と改めて確認しました。先生に出会え、真の神を知りました。私にとっての今後の連続コンサートは大いなる存在とひとつに生きることを身に付けたい望みを叶えたい気持ちで今日からスタートしました。今日の演奏は大いなる存在より見えず、初めから最後まで大いなる存在の現れでした。高みにあると思っていた大いなる存在はここにありました。私の内にも感じることができました。これからは望みではなく、ずっと共に生きていける存在とわかり、大いなる力を得られました。
第2部は、「女と男」
「いつまでも続くラブロマンスがあったら素敵ですね。同じ人間でありながら年代別、あるいは生まれにより違うのは当然として、これら条件を差し引いても違いが歴然としてあるようです。何によってどのようにして折り合いをつけましょう。妥協の所産では何の人生でしょう。本来は女と男は真の神に出会い、真の神が寄り添う関係であるのです。どのような修行をしても単独で真の神を見出すことはできません。」
驚くメッセージでした。開演前に、第一部のメッセージを読ませていただいた後に先生はこれから第2部のメッセージを書くとおっしゃいました。そのメッセージはピアノの音を変えてもらわないとできないのでとおっしゃり、調律師さんにお話に行かれたのです。ピアノで表現できるテーマではないとおっしゃっていました。そのテーマは「女と男」とは、驚きです。私には第2部も大いなる存在の現れと見えました。真の神が介在する女と男は本来の女性性、男性性が生まれると見え、感じました。先生の「ジェンダー」講座のようだと感じていました。女と男の関係は真の神が介在することなくしては本来の関係とはならないことをわかりました。私たちは先生がおられるので、女性は女性性を取り戻し、見出し、活かしていけるのだと感じ、感謝で一杯です。もちろん、男性も先生がおられるので本来の男性性を見出していけるのだと感じました。どのような修行をしても単独で真の神を見出すことはできませんとのメッセージに表してくださっていましたことは、先生が存在する今、誰もが真の神を見出していけることに感謝よりありません。音の深さ、重厚な響きはまるで大いなる存在の風が吹いているようです。今も体感とし鳴り響いています。女と男の関係とはの問いに正解を求める意識は愚かであったので、木っ端微塵に粉砕されました。枠を作り、枠内で解釈するよりできない頭の働きは人生を閉ざしていくとわかります。女と男という言葉から感じる自分の理解はちっぽけすぎて話にならないとわかります。分からないなら、そのまま経験することとし、ただただ演奏をお聴きしていました。聴いたことのない音、今まではるか彼方にある存在は地上に降りてきてくださったような音はとてもロマンチックでした。海辺にいるようにさざ波の音を聴いているようでありながら、海は地球全体となり、宇宙の波かと感じる音が聴こえ、大宇宙空間のど真ん中に立っているような体感が心地良いばかりです。アンコールは愛の風でした。それも体感から感じるイメージは大海の上に立ち、海の底からも大地の底からも溢れ出る愛が風となって吹いているのです。ダイナミックでロマンチックであり愛に満ち、心地良いばかりです。永遠にこの風に吹かれていたいと望みます。コンサート後に、先生から特別に調律していただいたので、今日のテーマが表現できたとのお話を伺いました。ここでより出せない音であったとお聴きしました。武者震いが起こりました。なんてありがたい尊い、恵まれた場でありましょう。コンサートを経験することによって本来の女と男の関係を経験でき、素晴らしい人生を生きていけるのです。輝くばかりの幕開けです。大いなる存在と共に生きる人生をはじめていけますことに感謝します。続く明日のコンサートへと向かえますことにありがとうございます。