愛のコンサート
雪のない東京の暖かな両日、仙台コンサートにライブで参加させて頂きました。両日の経験をを持って、これからのあり方をよくよく考えることとなりました。
又、25日の朝、24日のkkchを拝聴し、事実をお聞きすることによって、ますますいだきのことを理解していく道に通じ、いだきは何をしているところなのか、応用、アントレのお話も合わせて、コンサートで変化変容していく内面と生き方を考え、一巡した、といったお言葉を自身にとり、どのように理解しているのか問いかけながら、目的を対象化した原因によりベースも何も出来ていないといった不安をつくり、頭で自分のこと何もできないと打ち消し、一部は完全に疎外されていた、といった経験でありましたが、一部の終わりで、フワッと、実体のない、雲のようなものに乗せていただき、別次元に移行したことだけはハッキリと分かりましたことが希望となり、休憩に入りました。二部の演奏のピアノの音のかっこよさにしびれます。このような表現で申し訳ないのですが。。人間が幸せに生きていくため、あってはならない世界を根本から崩していくような雄々しく世界を揺すぶるような演奏空間に、未来に創っていかれるある世界を分かっておられ、そのもとで演奏をされておられるように感じ、いち音いち音が本音の音であることにただ事ではないない音の真を生命は感じる間もなく、音は疎外された壁をぶち抜いていきます。途中、出ていかれたのか、はいってこられたのか、分かりませんが、右に見えた存在は白い長いひげを生やした仙人のような方です。どなたであったでしょうか。二部の終わり頃、内面と神現る演奏との交流により、光との出会いがようやく実現します。真の自分になれ、神とひとつになれるどれだけかの感動に涙し、喜び満ち、コンサートは終了します。アンコールの神の一滴の涙が音となり世界をやさしく包むようなアリランの音に、晴美さんの愛を感じました。そして自身にとっても、会えたかった存在に会え、愛に満たされる感動を身にし、仙台コンサートは終わりました。感動と喜び、愛に包まれ生きていける幸せを人にお伝えして行きたく感じます。24日の二部は実はイエスの最後の晩餐を感じていたのですが、言葉になりませんでした。先生のコンサートはオンデマンドでお聞きするとき、いつも今、ですので、毎回そのときに必要な違ったメッセージをいただけ、大変ありがたい経験となります。後からお聴きできるオンデマンドも楽しみです。今年は、コロナ禍において、お体も大変な状態の中、沢山のコンサートを開催して頂きまして、誠にありがとうございます。
昨年12月から一気にかけぬけ、あらゆること経験させて頂きながらこの12月に至り、経験しました新しくまた苦しい経験は、身になり今に至ることができました。その隅々ではたらきかけて下さった神風のような存在を私は知っています。普通の人生ならば、感じることもないでしょう。いだきで生きる人生は、かけがえのない豊かな人生を歩むことが出来ます。仙台コンサートでしめくくりのこの一年、心からありがとうございました。