愛のただ中
みどり深き森 大きな大きな樹 熊野の神様も昨日からずっと一緒で心底、身体の底から幸せです。
わびさびのコンサート後から17日にかけての夜勤は、5分ごとに起こされるという地獄の(笑)現場でフラフラでしたが、死中に活を得るコンサートも聴いたし、わびさびで驚きの強靭な日本人のいのちを聴かせていただいたので、元気に三鷹に来ることができ、本当に驚異のパワーコンサートであると 身体の底から実感しました。感謝です!
愛のただ中は 多次元で 同時にすべてがあり すべてが成長の過程であり すべてが互いに共振共鳴し得る存在 和音となり得る存在 育みの神は透明に居て下さる 愛の場 でした。
けれど愛のただ中にいて、ふと外れることも しっかり(夢ではなく)現実として 経験し認識しました。一生懸命 ひとつのことに偏ると 気づけば自動的に疎外している。どんなに素晴らしいことも、言葉にして 固めて 疎外する。 いたちごっこのよう。普通はこのようなことを決して気付くことがないと あらためて認識しました。自己喪失してるなんて思いもしないまま死んでいくのがごく普通の現代生活だと
認識します。
そして ふつふつ湧いてくるのは 「創造的に生きたい」という気持ちです。
創造的にと望んでも、思い付きばかり 薄っぺらなことしか浮かんでこない自分です。自分の頭で考えているから という理由はすぐでてくる。 いのちの交流なくして 創造は 生まれないことを知ります。生まれるというのは 本当に あたらしい別物があらわれる 無から有が生まれるほどの すごいこと。
すごいことをするように、と生まれている 人間。
愛に満ちていなければ 起こりえない
人と人の 宇宙イベント。
愛に満ちれば 想像できないことが 起こる 宇宙。
未来宇宙がやってくる。
たのしく生きていくこれからです。
ありがとうございます。