愛により未来へ
3月19日の迎賓館コンサートは、ディサービスいのちで中継を仕事しながら聴かせて頂きました。先生のお話までは聴こえなかったのですが、頭がこれ以上悪くならないようにと弾いて下さった事を後から伺いました。丁度前日に悪い頭について人に話していた処だったので、どんぴしゃりと感謝しました。
東京カフェ高麗屋さんの聴く会で改めて体感し、昨日は「麗花6から高句麗伝説〜歴史の縦軸〜」に参加叶いました。
麗花さんの詩に、思春期の言葉にならない気持ちを的確に代弁して下さっていて解放されていきます。そして高句麗伝説の先生の演奏と高麗さんの詩と語りにどんどん余計な意識が払われ、魂の神聖な世界に触れ、意欲がどんどん満ちていきました。
話が前後しますが、18日、偶々誕生日のタイミングで、お話下さった方のお気持ちより、変な遠慮や謙遜は共に生きていない事を自覚したので、共に生きるとはどういう事かを考える最近です。ただ近くにいる事が共に生きているという訳では勿論無いのです。数日後に、特別養護老人ホームで先生と働いていた管理栄養士さんに偶々お会いする偶然もありました。
様々起こる現象からも、誰と生きていきたいのか、明らかになる今です。
いだきしん先生と高麗恵子さんの御二人の存在、愛により、よりよく変わる機会があり、その事をちゃんとわからないと、遅かれ早かれ、共に生きる事は出来ない事を経験しています。ずっと受けとめて下さっていることに、せめてお役に立たないと、単なる変わり者で終わってしまう事だけはできません。
デイサービスいのちにいらっしゃる方々の笑顔が増すように、何処の場でも、先生と高麗さんに出会えている生命で人に出会っていけます。真が現れる今に感謝致します。いつも未来の先取り、機会をありがとうございます。