愛なくしては
第一部「真の花」
世阿弥の能では、若いうちは若いがゆえに花があり、
これを「時分の花」といいました。
ここでいう「時分」は「時を分ける」と書きます。
しかしこの花はやがて散ります。時を経ても失われない
「真の花」を咲かせることを伝えています。
「真の花」は「時分の花」を活かしつつ
「真の花」へと昇華させていくのが人の道の歩みといえます。
どなたの命にも 命の中心にある
一筋の「花」、魅力をあらわします。
第二部「恋慕」
「恋慕」という言葉はとても古くから日本の文学や詩歌にあらわれる
深い感情表現です。
一時の恋心から永遠の想いまでも包み込みます。
すなわち「恋慕」の特徴は「時分の花」のように一時的で
熱い感情でもありますが「真の花」のように生涯を通じて続き
幽玄の世界まで通じます。人生にとって欠くことができません。
コンサートを経験し、家に帰り、メッセージを読ませていただくと「真の花」の意味が生命でわかり、とてもうれしいです。第一音のロマンあふれ、神秘的な音が今尚、胸の内で聞こえます。青紫の光輝く幻の花が見えました。演奏をお聴きするプロセスの中で、年をとることを真逆に捉えていたことに気づきました。年を重ねることは、今日のメッセージに書かれてありました「時分の花」が連続し見え、まるで桜吹雪が舞っているように内に光の花が咲いていました。年を重ね、より透明感あふれ、強い光を放ち、美しいことの深みを感じる光の花がひらくように生きることを経験しました。今までは年を重ねることは衰えていくと思ってしまい、そうでないとどんなに言い聞かせても自然とそう思ってしまうのでした。美しい生命や感受性の良い方々が人や社会の汚れ、歪みを写し、苦しむ状態が悲しく、なんとかしたいと願いました。徹して内面を浄め、美しく生きることが答えと見出した時、「真の花」は空間とひとつにひらきました。自分の内の歪みや黒く見えるものは、自己中心の意識であり人や社会のせいにし、自分を認めない勝手さであることも受け止めます。このような状態で、美しい生命を汚していくことなど望んでいないのに、やってしまうことは金輪際やめると心に誓います。皆が生き生きと生きていけることを心の底から望みます。望む生き方をすればいいと気づきます。本音や気持ちのままに生きていない状態は思いとなり、人に負のエネルギーを放っています。本音、気持ちを活かし、やりたいことを思い切りやり、内面を徹して美しく生きていくと決めると、心が晴れます。桜吹雪が舞うように光の花が次から次へと咲く光景が見えるピアノの音は光輝いていました。愛があれば「真の花」がひらくとわかる経験をさせていただきました。愛なくしては真の花は咲かないのです。先生のコンサートでこんなにたくさん愛を経験させていただき、真の花が咲く生き方を実現できますことに深く感謝します。
第2部でも内面を徹して美しく生きることを心にしました。素晴らしいメッセージを心に聴かせていただきました。終盤近くにアリランのような演奏が聴こえ、私が愛と呼んでいます演奏になると、魂震え、感動に震えました。愛することをしないことほどの罪はないと生命のメッセージが聞こえました。私は神観念が強く、罪の意識が根付いています。原罪も刻まれていますので、愛することをしないことほどの罪はないとのメッセージに驚いたのです。よく考えれば当たり前のことでありますが、当たり前のことで生きていない状態を認めました。魂震える演奏からは高句麗の暮らしの光景が見えます。一人一人が生き生きと輝き生き、支え合い、気を遣っていても自分を抑えたり犠牲になることなく、生き生きとしながらも互いのことを考え共に生きる光景を見、「恋慕う光景」とつぶやいていました。恋慕う、とつぶやいた瞬間、今日のメッセージタイトルは「恋慕」と気づき、驚喜しました。恋慕うと表現した時、源に戻り、安堵し愛に満ち、生きる原点を取り戻し、生きる力が湧いてくる状態でした。メッセージの「「真の花」のように生涯を通じて続き、幽玄の世界まで通じます」とはこのような経験なのかと経験でき、とてもうれしくありがたいです。とにかく元気になります。そして生きている世界が光輝いて見えます。そうでない時は、色褪せた世界に見え何の為に生きているのかと虚しさを感じます。「真の花」と「恋慕」を経験でき、力が湧いてきました。内面は何もなくなっていました。人に求めるのではなく、自分の内を徹して美しく生きていこうと生きる力が生まれます。本音、気持ちのままに生きやりたいことをやっていくことは内面美しくなるとわかります。人にわかってほしいと望むことは本音ではなく、皆が真の自分を活かし、輝き生きることを望んでいます。やりたいことは自分でやっていくのだという当たり前のことからやっていく喜びを感じます。今日も素晴らしいコンサートをありがとうございます。ウクライナの方々もすぐに「今日は花」と表現されました。それぞれ人生を考えたとおっしゃいました。皆で人生を考え、どう生きるかをわかっていけるコンサートの機会はかけがいのない機会です。次は琵琶湖のほとりでのコンサートです。また素晴らしいかけないのない経験ができますことの恵みに感謝します。ありがとうございます。