愛するいのち
兄、長男のあとに、私、女の子、が生まれて良かったと丸で物のように両親や世間からおもわれ、今も変わりません。残念です。
いつか分かってもらおうなんて幻想を抱くのは今、やめました。私がどう生きようとするのか家族は永遠に分からないとよく分かりました。「愛するいのち」と受け入れられ、自身でも受け入れ、十分であります。
存在を明確に、いずれ花ある存在となりますように、愛するいのちとして歩いていきます。
第一部のピアノの始まり、やさしさこの上なく、光源からの子守唄と感じ、再スタート出来ます。
ありがとうございます。