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愛が先


狛江のコンサートと応用コースをありがとうございました。社会人になってからはお金により疎外されっぱなし、社会人になる前は、両親や学校の価値観により疎外されっぱなし。つまりは生きる環境を得るために疎外されっぱなしの人生。本当の自分を生きるなんていうこととは程遠く、毎日を重ねるほどに鈍くなり自分の傾向で頭でものを見るほうでした。まさに前日、前々日と、最近は表面的にはあまり感じていなかった、解決しきっていない在り方に苦しみました。コンサートメッセージはタイムリーでした。自分は高麗さんの「まるでスミレを見つけて驚喜したときのような感じ」と表現なさる、「本当の自分をわかる手がかり」を見つけても、そこから素直な気付きを得て変わっていくことがなかなかできず、そのやりかたを身に付けるために、たまたまある方から誘われたカウンセリングを勉強しようと、お金がどうしても欲しくなってしまいました。それはそれで良いと考えますが、なんとかならないものか、なんとかできるなら嘘をついてもいいし、その場しのぎでもいいし、本当の自分なんてどうでもいい、お金を支払って、「何不自由なく暮らしている立派な社会人ですと証明したい」、また「母親のような女性から認められたい、受け入れられたい」という気持ちがわずかながらあることに苦しみました。ただ昔とは違いもう一人の冷静な自分がその苦しみ方を冷静に分析もしていました。先生がお母様のためにお家を建てられた時とは偉い違いです。

先日の京都の「ジェンダーを巡って」に参加させていただいた後、寝て起きると、肝にある空白の〇の中に密度がふ~っと流れ込んできて、中身のある●になりました。「~●→〇」「〇→●」というように絵で見え、自分では埋められなかった、肝の底の空白が講座に出たことで埋まったんだとわかりました。

そのとき確かに疎外されていなくて、中身が先、お金は次(そこに集まるもの)という感じをつかみました。しかし日がたつにつれ、それが逆になっていき、昨日、一昨日は完全に逆でした。つじつまをあわせたい、肝の底の本音はどうでもいい、というのは自分にあったと同時にこれまでの田舎にもかなりある在り方です。いま目の前の窮乏を乗り切るためなら、自分など捨ててしまえ、という感じです。その状態を言葉にすると「粗末」となります。

本音と外側、愛とお金がひっくり返ったままになってしまうとどんどん疎外されて、疎外が苦しいと自覚があり素直に認められるならまだ救いもありますが、疎外に気付かないくらいに鈍く頭でっかちになってしまったのがこれまでの私であったと思います。

いだきという最先端のところに来ているからには、半端に疎外された状態では成していけないことをわかります。「ことばにならないと成っていかない」というのは、本音、疎外されていない言葉のことで、疎外された焦りや見栄がわずかでもあれば本音は言葉にならないので、ちゃんと正直に向き合い言葉として整理する必要があります。

今日から新生していけますことに感謝致します。ありがとうございます。

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