愛、自分で決め動く
16日までのプロセスは真と、これまでの十倍も百倍も強く繋がり太く現していかないと闇となることをわかり、真剣に真だけを常に現すには・・・と足掻く日々です。毎日があっという間に過ぎる中で、自分の中にも、お連れした人の中にも共通に在る「卑屈極まれり」という状態が限界となっているのを感じました。言葉面は同じなのに、その乗っている目に見えないものが、ゾゾゾと背筋の凍るほど冷たかったり、逆に臓器そのものが喋っているかのようにホットと感じたりし、体を感じる習慣はついてきました。自分の中にある、いだきの受け売りの言葉を愛なく使い他者を裁く傲慢さ、体からの言葉を使えていない荒んだエネルギー、潤っていない内側、それらが当たり前になりすぎて無意識であるという恐ろしい状態は、全てなくしたい、なくすと考え決めました。「正しいとは何だろう」と数日前より自ずと考え、一つ筋の通った中にありながらも正しさはそれぞれによって違い、何とか肯定的に受け止めようとしてきた過去が少しの刺激で「本当は悲しかったし納得していなかったけど、無理やり関係を保つために、それで良いことにした」等、扉が開きます。もっと肯定して良かったのかもしれない一粒一粒のかけらを拾い上げ、実はそこにこそ全体の先を拓く光の差すヒントがあるのかもしれないと、時が過ぎて人を通じわかることはこれまでなかった経験です。
コンサート中もこれからどうして生きていくんだろうということばかり過り、ひたすら体を感じ、愛を経験しました。この世の中には時間で区切ること、私、公、仕事、活動、など大人として生活を送るための在り方、人とのかかわり方という社会で生きる状態があります。仕事の中に愛がある、とか活動の中に愛がある、愛を商品化する、のではなく、はじめに愛があって、その愛ある人が仕事をし活動をし、ものをつくるのだとわかります。愛ある状態がまずあって、お金をつかう、いただく、のであり、愛をお金に、お金を愛には出来ないことも、言葉では似ているようでも全然異なる状態を学びます。一瞬一瞬を生身で生きるホットな人間と在ることが、先生や高麗さんの助けとなるのであれば、そのように生きられる仕事を選び、なければ創り、生きていくことが大事で、頭を使う方向性、基本姿勢、土台を得たと感じます。
お誘いした方がお仕事で遅れ、なかなか来られない「?」という感じの切迫した中で、すべては必然と受け止め、どうしていだきの本質をその人の前でもっと言語化できないのか、出来なかったのかと考えました。急なタイミングではあったものの、日頃からちゃんとコンサートの重要性を伝えていたら、もっとことの重大さを優先して下さらない方ではないのに・・・答えは簡単で、過去私はその状態で生きていなかったからです。理由は一つ、「お金の支払いに遅れたくない」これに尽きます。当然のことではありながら、とらわれ過ぎて頭を働かせられなくなる、悪魔の状態は、大きな罠です。やっぱり冒頭に戻り、現状の自分のテーマ、「真と、これまでの十倍も百倍も強く繋がり太く現していかないと闇となる」に至ります。いのちは境無く繋がっているとはいえ、全ての人から好かれるのは不可能な中で、まずは自分自身に忠実な実りを自分の中に産み、そしてともに生きていく人を大切に、、、と、動きながら幸せの実りを循環させる喜びのプロセス、人生に先駆けて経験させていただくコンサートを、ありがとうございました。