意志が育まれ、成し遂げられる空間
府中でのコンサートの日は家の前で大きな音がし、心臓に刺さりました。車が家の前の倉庫の壁に突っ込んだ音と知りました。救急車、警察車両と家の前に止まり、最中であればコンサート会場へ行くことも懸念されましたが、出かける時間には車を出せる状況となっており、無事に向かうことができました。コンサートに向かうことは本当に真剣勝負と今日も肝に命じました。自分だけが備えても周りで何が起こるかわからないのです。何が起きてもコンサートには無事に行けますように生きる姿勢を更に極めなくてはいけないと感じました。身に起こる現象や周りに起こる現象は、大いなる働きかけと受け止めています。周りのエネルギーを身に受け、気が抜けたり、何かに覆われ、鈍くなる感覚があることを自覚しています。今日はある課題を持ち、先生のコンサートを聴かせていただきました。
第一部「意志の世話をする」
「生来、意志なき者なし。今まで人類は何らかの意志によって生き続けて参りました。本来、意志を育むことが基本中の基本です。子供の面倒をみると言って子供を育てると言って子供の意志の面倒をみたことがあるのでしょうか。子供の意志に注意もしないで幻のように曖昧にし教育実践してきたのではないでしょうか。ある年齢に達し、成人になり実は自己の意志を明確にしてこその人生です。自己の意志を世話するということにより何か成し遂げるのですが、意志の世話をしたことがありますか」
意志の世話とはどのようなことなのかと考えてもわかりませんでしたが、第一音の優しいことに安堵しました。別次元の清らかさにここで生きれば生きていけると生命をもって感じました。生命の深奥に輝く真の光をわかってくださり、共にある状態をずっと経験させていただきました。共にあってくださいながらも余計なことはせずに、光は光とし受け止めていただき、自ら光が輝くように動き始めます。光を覆う闇はなく、身に受ける苦しみも重みも濁りもなく、深奥に輝く光は光に抱かれ、守られ、別次元に在ります。意志の世話をするとはこのようなことなのだとわかり、優しいことに感動しました。
コンサート前に愛麗花ちゃんがやりたいことをお聞きしました。最も共感することでした。感動に胸震え、嬉しくてたまらず、胸の内に希望の光がともり、これから愛麗花ちゃんがやりたいことをやれるように生きていきたいと望み、子供達が生きていける社会、地球環境を作りたい本音でいだきを始めさせていただきましたが、これよりやりたいこともなく、最もやりたいことであることを確認しました。意志の世話をすることを経験させていただき、自分の意志も世話をし、子供達の意志もお世話ができるように生きていけるあり方を知ることができました。とてもありがたいです。
第2部は、「わかりながら」
「種々様々、ひとつひとつ、きちっとわかりながら、人生を豊かにします。人の関係でも互いにわかりながらその人の持ち前を発見しながら豊かになり、美しい心、魂を見出して、美しいことの感動と喜びに満ちます。直接に自己発見と創造にダイレクトに繋がります。内面豊かになり、心、魂がさらに発見され無限の可能性というほどの際限のない宇宙に導かれます。愛と名付けられます」
ひとつひとつきちっとわかりながらと心の中で何度も言い、演奏を聴かせていただきました。心にかかることが表に現れ、考えました。考えても考えても答えはなく、内面深くを感じ、問うても答えはなく、次第に焦り始めました。大迫力の演奏に、身が分かれ分かれになるようななんとも表現しがい妙な感じになるのです。最後は気が狂う恐怖を感じ、心の中で「先生、どうしたら良いですか」と先生に質問していたのです。その時、自分で答えを出してもまた同じことを繰り返すとわかり、おおいなる存在に委ねていくと考えました。内面に問い、答えを見出し生きてきましたが、答えが見えない時は気が狂う恐怖を感じます。大いなる存在につながらない関係は関係とは言わず、大いなる存在とつながらない意志はないと身にしみ感じました。生まれた時からある意志は大いなる存在につながっていたともわかりました。そうでない意志は自分勝手であり自己中心となると見えるようにわかりました。この二つの意志が分かれ別れになろうとしているように見えました。大いなる存在とつながる意志よりないことはよくわかっていますので、もうひとつの方は離れて欲しいと願いましたがこれも自分勝手と感じる苦しみにお手上げとなりました。ある瞬間、ピアノの音が全くなっていない瞬間がありました。心臓がギクリとし、時間が止まったように驚きました。空間が変わりました。大いなる存在が作った空間であると見えました。畏れを感じ、姿勢をただしました。この瞬間の長く感じたことにも畏れを抱きました。同時に人間や人間を動かしてきた霊界が作ってきた空間も見えました。いつも生きている世界です。世俗であり世間中心の中心のない世界です。大いなる存在が作った空間を経験していなければ、こちらの方が馴染み深いですので、すぐにはまり、馴染んでしまう世界です。私はこの世界で答えを出そうと考えていたので答えが見えなかったと気づきました。大いなる存在が作った空間に身を置いていると「生きていける」と実感します。意志も霊界に動かされ作られた意志は破壊し悲惨な末路をみるということが見えるようにわかります。生まれた時からある意志は大いなる存在とひとつです。世話をし、育み、成し遂げていくことを教えていただき、経験させていただきました。
府中の大きな会場では、毎回生命助かるか否かの経験をさせていただきます。生きて新しい生命を得たのもこの会場でのコンサートでした。人間は生まれたら死に向かい生きることは当然でありながら、虚しさに襲われてきた私はこの会場で時間のない世界で生きることを経験し、死に向かう生き方から抜け出せました。今年初めの7日のコンサートでは年末から倒れるほど苦しんだ胸の苦しみ、痛みから抜け出しました。今日は、大いなる存在が作った空間に出会い、苦しみながらも答えがない世界で生きることから抜け出せました。コンサート後に即興詩を詠んだ時、完全に大いなる存在が作った世界が立ち現れていました。私たちが生きる世界は変わったのです。変わった世界で生きていかずしては生きていけないことはコンサート中の気が狂いそうな苦しみにより経験しました。今までの空間では生きていけないのです。今日から大いなる存在が作った空間で生きていけるように訓練し、努めます。ありがとうございます。