愉しさは希望
応用コースのピアノから、奥深くまで解れ切ったような体感となりいつもと違う意識を経験しました。
入院中に意識が無くなられたときやピアノを弾いていらっしゃるときは普通の意識や時系列の時間の中にいないということを知りました。時間について初めて考えることは大変面白く、いつからなのか、この頃急激に、この世の1箇所に留まるつまらない時間を越えて複合的な多層の時間を生き始めることが伝播し、しかも自覚されているように想います。時間が全く違うことは誤解や誤訳に通じ、当たり前に自分を気遣う人間同士時間が同じであることは簡単に言えば最も仲が良い状態、話が通じる状態と新たな理解をしました。いつから自分を気遣えるようになったのか友人は常に昨日と違う事を発想し言い出す自分のことを心配しつつもコロコロ星人と呼んでいました。
時間を逆転させるなとの表現も今は符合し、自分への気遣いを発見したのにそれを見ないようにするのならそれは存在や生命を無視する事と分かるのです。自分でも理由が分からないような本音は情報化される事なく安全であることは人間だけの大きな可能性です。
ここだけにいる事は優秀で真面目で良い事だと思いながらもそれが出来ずに色々な時間を浮遊するように生きていましたが時間の概念は数日でどんどん変わりゆく今が生命のスピードと合い楽しいです。
ビデオ講演会にて、アフリカの事を考えない日はないとのお言葉に本音の迫力と出会い涙が溢れます。高句麗の同胞は生粋のアフリカ人かも知れないとのいだきしん先生のお言葉にどきっという音が聞こえるほど驚き安堵しました。
五女山でのメッセージ、人類がアフリカに助けられるとのお言葉はこの数年で現実味を増して理解できるようになりました。最も高尚な出会いが起こる日が愉しみです。
有難うございます。