悲願成る時
三鷹の地に生まれ、三鷹のことは自分の敷地内という感覚が身についていたことを最近気づき、今日の三鷹公会堂での「高句麗伝説」に臨ませていただきます。このことを気づいてから、迎えた誕生日の朝の夢は、「幸せになる為に生まれたのだから幸せに生きていく」と、どんなに苦しいことがあっても時には身が裂かれる悲しみを経験しても、ただただ子供の為に生きはたらいてくれた父母を思い、幸せに生きていかなければ申し訳ないと感じ、今まで生き延びてきたことに感謝し、涙し目覚めました。そして私が生き延びてこれたのは先祖の導きにより先生に出会わせていただいたことよりなく、自分一人の人生ではないことは生命をもってわかっています。
笑美ちゃん、愛ちゃんが、「お誕生日おめでとうございます」と迎えてくださり、なんてやさしいのでしょう、と感激し、喜びからはじまった誕生日に感謝します。今まで、当たり前に挨拶できれば互いに気持ちよく過ごしていけるのに、挨拶のところから小言を言わざるを得ないことが多く、人間関係により幸せにも不幸にも感じられる人生であるとも考えることが多くありました。先生や先生のご家族のように生きていれば、幸せに生きていけることを改めて身にしみ、やはり先生の生き方の勝利と感じ、喜びと感謝の気持ちで、胸熱くなり、胸の内は涙にじむのでした。続いて克晢君もすぐに祝福の挨拶をしてくださり、人間の生き方ができる今年の誕生日に感謝でいっぱいでした。すると窓辺に鳥が集まってきて美しい声で鳴いています。ある鳥の鳴き声は、聞こえると同時に「おめでとう」と聞こえたのです。心臓に聞こえると同時に、心臓から聞こえました。同時であることが「生きている」と実感できる時と感謝し、喜び生まれます。
笑美ちゃん、愛ちゃんが、高句麗伝説を万全にできる昼食を作ってくださり、これ以上備えることはなく、万全に心からの感謝の気持ちで狛江に向かいました。
楽屋には先生からのプレゼントが届いていました。前夜に「高句麗伝説」そのものとおっしゃってくださったバックを見、高句麗そのものと感じ、高句麗が体の中に入ってきた体感となり驚喜しました。この世に高句麗そのものである物がよくぞ存在するものだと大変驚き、感動します。先生よりみつけてこれない物とは一目瞭然にわかります。世界中を駆け巡る未来が見えました。
誕生日のビデオ講演会は収録しましたが、カメラに映っていなかったようで、配信できないこととなり大変残念です。が、どんどん先へ行くよりないと考え、先へ向かい、本番に臨みました。
第一音から宇宙の波の音と聞こえ、空間は大宇宙空間となっています。何もない過去もない世界を言葉に表すことは必要ないと生命でわかります。聞こえると同時に生まれる言葉を表現すると体中が熱くなります。大宇宙の中心に立つ柱が立ち現れ、今後は誰も阻むことはできず、何ものも邪魔することはできない世界が拓かれました。本番中、ずっと大宇宙に立つ柱となる大きな木が立ち現れ見えていました。いだきです。そして最後には宇宙の生まれる3段階前の世界が立ち現れていました。先生の時代の到来です。私には図形でも鮮明に見えました。今も胸の内に在り続けます。ロシア製のアナログシンセサイザーの音と後から知りました。先生の源の光があらわれる音とは凄いでは済まされない程のことであります。もちろん先生が演奏されているからこそ現れるのですが、表せる楽器や道具があるということは素晴らしいことと感激します。宇宙の生まれる3段階前の世界が現れ、終演となりました。新しい人類史のはじまりです。
今日のヘアーアクセサリーはえりかちゃんがつけてくれました。えりかちゃんにお手伝いいただく日が来るとは。。。とてもうれしく、気持ちが華やぐのです。全てが終わり、一日の終わりにえりかちゃんに鳥が集まってきたことをお話していると、誕生日のお祝いに来てくれたんだね、とすぐに言ってくれました。本当にそうなのよ、と私も驚き答えました。このようなひと時がうれしく生きる力となります。
皆さまにもお祝いのお言葉をいただき、お花もお贈りいただき、心より御礼を申し上げます。夢に現れた母のことを多く思い出す誕生日となりました。3度の大火に見舞われ、3度家が全焼しました。目の前にまるで魔物が動かしているように恐ろしいエネルギーで燃え盛る炎を前に、はしかを患っていた私をおんぶし逃げようとしてもあまりの恐ろしさに腰を抜かした母と共に見た炎は未だに脳裏に焼き付いています。家を失い、外で母がくれた一個のパンを分けて一緒に食べようとしたら、母は私に全部食べるように言いました。「恵子が食べてくれればお母さんは食べなくても幸せ」と、私が生きることが母の喜びであることを一生懸命伝え、食べるようにと言い続けました。この時の母と、いだきをはじめる時に、ただ見ているだけで自分で講座を受講しようとしない人に対しても、私が生きていける為にと受講をすると決めたことを話していた母の姿が重なっています。そして私が笑顔でいることが何よりの喜びとは口癖でした。私は先生にお会いできるまでは死ぬ程苦しみ生きていたので、笑顔で生きていたくても、笑顔で生きることはできないと言っていたのでした。先生に出会い、幸せに生きる為に生まれてきたのだから幸せに生きるとどんなに辛い時も父母を思い、言い聞かせながら乗り越え、やがて先生の講座、コンサートにて一気に飛翔でき、完全に乗り越えてこれたのです。今日は胸の内に涙が流れ続けました。やっと悲願が成る時が来たことを胸の内を流れる涙が伝えていました。3歳の頃、幸せに生きることを考えた時、自分だけの幸せはあり得ないことはすぐにわかったのです。まわりの人が苦しんでいては苦しいのが人間です。皆が元気で幸せに生きていけるようにと祈りはじめました。そして世界が平和でなければ人間は誰一人として幸せにはなれないことに行き着き、世界の平和を祈り始める人生がはじまりました。やっと幸せに生き、世界の平和を実現できる時が来ました。ここに至るまでのあまりに長い道のりを今ここで表現しつくせませんが、生命は経験し身に刻まれています。三鷹の地についても表現しようとすると、できないある何かがあります。ビデオ講演会でもこのことを話したかったのですが、収録されていませんでした。が、胸の内を流れる涙が伝える感謝の気持ちは三鷹公会堂での「高句麗伝説」へと向かわせてくれます。多くの魂の悲願とも感じ、涙ばかりがあふれるのです。先生にお越しいただき、皆さまにお越しいただき、心より御礼申し上げます。ありがとうございます。