悲しみから愛へと
狛江の応用コースでお聞きしました「自分の意志」のことが心にあって、11日のコンサートに参加させて頂きました。そして第一部のメッセージは「意志の世話をする」でした。思いもがけない表現に驚きながらも、先生の演奏を一心にお聴きしました。
意志の無い人間はいない、その意志を押し込めたり無きものとして生きてきた、その生命の悲しみを分かって下さり、そして今こそ芽吹こうとしている意志を見守り、慈しみ、育てて下さろうとする大いなる存在が常に共にあることを感じて涙しました。大いなる存在は常に共に居て下さり、その大いなる存在に心を合わせて共に生きてこそ、自分の意志は育っていくと分かり、喜びと希望と感謝が心の底から湧いてきました。
第二部になり、第一部の続きの心境を期待したのですが、そうは行かず、心がモヤモヤとし始めたので戸惑いました。メッセージの「わかりながら」の内容がすっと心に入らず、心にあるトゲトゲしたものに引っ掛かるばかりして素直に流れないことを感じていました。
私は一人で勝手に生きていました。たとえ人と一緒に居ても、自分さえ良ければよい世界で生きていました。自分を抑えて言いたいことも言えずに黙って周りに従うか、突然人が変わったように強く自己主張して周りを蹴飛ばして出て行くか、その両極端しか知りませんでした。そうならずに本当に人と一緒に生きたことがなかった。だからメッセージのお言葉がわからないのだと思いました。トゲトゲしたものは、過去から続いてきたそういう自分の生き方でした。そしてふと、自分の両親もそういう生き方しか知らなかったと思い至りました。人とどう愛し合っていいのか分からず、それでも懸命に子供を育て、仕事をし、生活をし、生きてきた・・そこに人間の深い悲しみを感じました。
「悲しみから愛へと」・・、ふと心に生まれ、「愛を実現する」という言葉が光となって胸に灯りました。
私は愛を実現する。私が愛を実現すれば両親も救われる。幸せになる。過去を一気に抜けて飛翔し、超越して、生きる世界は「愛」・・・。第二部のメッセージの最後にありました「愛」に行き着きました。
先生の演奏なさるピアノの音は、第二部のメッセージのお言葉そのものとなり、過去の苦しみも悲しみも全て受け容れ、大いなる存在にいだかれ生きる世界へと一気に引き上げて下さいました。自分がいだき講座を受講して、受容され、愛を経験したことを今、自分から周りの人へ、自分が経験したのと同じように受容し、愛を実現していく道が私の前に開かれて、ピアノの音はそこに導いて下さいました。
第一部の始まりから一気に大いなる存在の愛にいだかれ、涙した、その世界は、人がお互いに愛し合い、さらに愛が育まれ無限に広がっていく世界です。大いなる存在の下、全ての人と一つである愛一元の世界で生きてこそ、自分の意志は芽生え育っていくとわかります。愛に満ち溢れ、限界をつくらずに次々と進み、思い切り生きて自らの持って生まれた使命を成就したいと願います。
この度の府中のコンサートで経験させて頂いたことはとても尊く、超越の第一歩と感じます。
明日は荻窪でのコンサートに参加出来ますことを有り難うございます。
どうぞよろしくお願いいたします。