KEIKO KOMA Webサロン

応用コース、ありがとうございました。


LIVE、オンデマンドでの応用コース、ありがとうございました。オンデマンド最終日のピアノ演奏を、もう一度、視聴しています。LIVEで聞いた折は、固くなっている心臓を自覚できました。毎年、4月19日は、いろんなことがあります。今年は、ライブ配信にて、先生と晴美様を感じ、助けられた命であることを、あらためてわかりました。 私は、いだきを受講する数年前のことですが、夙川の絵画教室に通っていました。その絵画教室に行く道中、喫茶店の「姓名判断」と書かれた張り紙に目が止まりました。ちょうど時間があったので、姓名判断をしていただいたのです。その結果を聞き、気分が悪くなったのかは、わかりませんが、絵画教室についても、終わった後も、フラフラしていました。何とか、夙川から梅田行の電車に乗りましたが、十三あたりで、手足が冷たくなり、心臓が止まるのではないかと思うほどの恐怖を感じました。梅田に着くなり、歩けず蹲り、倒れてしまいました。担架で駅長室に運ばれました。このことは、今まで、あまりのショックで誰にも言えなかったことです。姓名判断の結果は、自分の名前を付けた親を恨むほど、悪い姓名判断結果でした。結婚すれば姓が変わるけど、結婚するまでは、名前はカタカナで書いた方がよいと言われました。当時、まだ、初な20代でしたので、落ち込み、その後、名前を書くときは、カタカナにしていました。倒れたことも、誰にも言えず、長い間、忘れてしまっていたできことです。しかし、高麗さんのお話で、晴美さんがアキレス腱を切ったというお話を聞く度に、思い出していたのです。倒れたきっかけが、姓名判断の結果かどうかは、今だに知る術はありません。駅長室に救急車が来て、病院に搬送されるところでしたが、治療代を心配し、断りました。断ると、身内に連絡して迎えに来てもらうよう告げられました。しかし、大阪に一人で暮らしていたので、近くに身よりもなく、親しい人もいませんでした。お金もなく身よりもいないという酷い状況で、やむなく、仕事場の人に迎えにきて頂くという苦い思い出です。その後、年々、体は衰弱し、37℃の微熱が続き、大学病院にも通っていました。原因不明で、いつも体はだるく、週3日働くのが精一杯という生活になりました。両親が心配すると思い、体調が悪いときは、お盆も正月も帰省せず、黙っていました。西洋医学では治らない病気とわかり、その後は、何とか健康になりたいと、太極拳や気功を習い、いろんな先生に教わりました。中国の東洋医学関係の大学病院に行けば、健康になれるかもしれないと思い、中国渡航の費用を工面していました。中国に渡航する手続きをしていたときに、いだき講座を受講しました。自分が、なぜ、病気になっていたのか、わかり、命、助けられました。中国に行く必要も、なくなり、先生のピアノ演奏とお話を聞く度に、健康ということがわかっていきました。 助けられ、生き長らえた命です。 これからの時代のために、どのように生かすか、考え、表現してまいります。 ありがとうございます。

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京都、八坂より
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向うは世界へ
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三鷹市芸術文化センター 風のホールにて