必ずしもすぐに死に至らない
狛江のコンサートと応用コースにライブ配信で参加しました。必ずしもすぐに死には至らない中で感覚が鈍くなっていくことは長期的に目標や計画をたてた時には一番の害だと感じていて、「周りの人から好かれること」をいつの間にか、長期的な目標や計画よりも前においてしまう癖があるとどんどんムードに流されていきます。
「誰かから好かれること」を学校では学び、「反抗しないこと」を身に着けたのですが(あくまでも自分視点です。母は「あなたはずいぶん反抗した」と具体例をあげていまだに言います。「あなたは青いマニキュアをつけて高校へ行った」というエピソードはしばしば母から語られる話の一つです。反抗ではなく青が好きだっただけだ、と当時の私は今の私に訴えますが、ここで「怒られるとわかっているんだから陰でやる」という方向へ行かなかったのは、案外健全だったんだなと感じたりします。同時に健全でいるために好奇心と能力を削いだともわかります。)周りから好かれることを目的としているとそこで止まってしまいますし、「反抗しないこと」で目の前にいる人を敵に回さなくて済んだとしても、長期的に見るとそれは世界をいだきにするためのメリットになっているのか・・・自分を見失いやすくなるという点も含めて、決して良い道をつくるとはいえません。自分の人生を生きる、本音で切り拓いていく、という在り方とは真逆でしょう。(ここでいう「いだき」というのは、私の捉え方の「いだき」なので、みなさんお一人お一人のお考えのもの、また本当のこととは違うのかもしれません。私の場合は自分の3歳の本音「優しい世界を広げる」を基準にしています。3歳まで弘前にいたころの温かさを広げなければと内側が知っていて、これが、当時一緒に住んでいた大家さんのおばあちゃんや母のことかと思っていたんですが、もちろんそれもあるんですが、いだきしん先生がお盆やお正月はお帰りになっていたとお聞きして、もしかすると当時から私はいだきの空気に触れていたんではないか、だとすると3歳の本音は「いだきを広げること」になるが・・・と考えました。)
先生、高麗さんが世界の中で組むビジネスパートナー『同胞』を見つけられて、どんどん活躍の場を広げていかれた時に、自分はどこにいてどのようにしていだきと出会ったことを活かして生きていくのか、先生のおっしゃっていた「数字」を用いることを増やしながら記述し整理してみます。数字や理論的に考えることはまだまだ苦手ですが、取り組むうちに以前よりは階段を上るように落ち着いて出来るようになってきたと感じることが増えました。以前は考えようとすると不安で不安で、頭も首から下も不安を受け入れて溶かすキャパシティーがなく、長期的な視野でものをみて直視し計算し計画することなんて全く出来ませんでした。今は少しできます。今でもまだ、考えられず運任せにするいう怠慢な癖は残っていますので、完全になくしていけたら人生は自在かもしれません。
この必ずしもすぐに死には至らない状況というまやかしに巻かれ時間を損失しないように、一つに賭けて(目に見える仕事は一つではなくとも)、次の東北の催しとその先に備えます。
ありがとうございます。