心のありか
ひとかたならぬ縁を感じていた方が急逝なさり、人の命の儚さを思います。9月に入ってからというもの、ずっと鬱々とした気持ちを抱えているその理由もわからないまま、今日まで生き延びてきました。今日はスピリチュアル系の方と話していたら、自分の弱さを自覚し、言葉の弱さもあり、反論できないままでやり過ごそうとしている自分にも気づき、不甲斐なさに涙も出ません。自分はもちろんどなたに会っても部分で生きているとしか感じられず、しかしそれを指摘したところでわかってもらえるはずもなく、全体である先生に出会ったのだから、それをそのまま表現できたら良いのに、どうせわかってはもらえまい、いやむしろ怒り狂って反論されるのも面倒だなどと、つい逃げ腰になってしまうので、一人になってから胸が苦しいばかりでした。オンデマンドで先ほど、8日のコンサートをやっと聴けました。とてつもない演奏を聴けているのだという衝撃。先生の渾身の演奏に感激し、感謝ばかりが溢れました。演奏中はずっと喉の奥の下のほう、胸の裏側あたりに音が響いていました。私の心は胸の上のほうの背中側?と思ったら、「浮ついた心」とか「心を後ろに隠してる」とかいう言葉が浮かんできて、さらに落ち込む始末です。心が大事なこの時代になんたること!・・・いつも前向きなことを考えて前向きに生きねばと思っていました。今はただ、自分のあり方全て、壊れていっているような心持ちがいたします。それでもいい、それで壊れてしまうようなら完全に壊れて、また新しく生きていければいい。今はまだただただ苦しいのですが、この時期を、単にああ苦しかった、で終わらせないで、進んで行こうと思っております。つまらない書き込みをして申し訳ありません。先生にお会いしたいです。