強くなる時
ボランティアミーティング、応用コース、存在論、ビデオ講演会をありがとうございます。
ミーティングでは、人類の危機にある今、コンサートチケットを販売させていただくことの重大さが良くわかります。生命にかかわることです。自分も人も。生命が輝いていけるか、曇るか、生き方が表現になる時です。
応用コースでは、方言を話していた人が、言葉を統一され、言葉によって統制されたと聞きました。日本における英語の状態も今そうだと。日本人の、「英語を喋れたら何とかなる」という信仰もその現れだと感じます。また、言葉によって半端に理解できるのは困ったものだとは、とてもそう感じます。自分も半端な理解でバカになってボヤけてると感じます。言葉は知っています。習った言葉は、たくさん知っています。いだきのことをお伝えするのも言葉です。先生は本当に言葉を理解することで体が治ったけれど、それを皆さんに教えることはできないとお聞きしました。私も、先生の演奏、高麗さんの声によって生命の言葉が生まれ、体が治りました。人はその人がそれぞれにその人自身の生命を感じることしか、この先は生きられないと感じます。それをお伝えするには、生命と言葉が一致してなければ伝わりません。「一番大事なことを表現して生きていければいい」これがいだき、とお聞きし、生命の言葉を表現し生きていきたいです。今、この文章を書いて、小学生の時、詩が好きだったことを思い出しました。すっかり忘れていました。内側から湧いてくる言葉。詩人とはその言葉を現す人。解釈しているから間違いと。
人の声がどう聞こえるかは私にとってとても大切です。声の好き嫌いは大きいです。耐えられない声は本当に多いです。仕事で電話でも直接でも人と話す時にとても我慢できない時もあります。人の声は気にするのに自分の声のことには鈍感でした。我が全開になっている時の嫌な声は、最近人に指摘してもらって良くわかりますが、無意識な時が多いので注意してみます。
存在論では、頭にある「信仰」を取っ払わないとダメと聞き、質問された方のおかげで、信仰とは何かがよく分かりました。子供の頃から親や先生に教育されたこと、今なら本に書いてあったこと、メディアの報道、それらしい情報は溢れ、引っかかっていきます。先生の講座、高麗さんの講演会をお聞きする機会が多いと、他の世界で使われる言葉の意味はほとんどノイズに聞こえます。昔からテレビは耐えられないですが、私が今コンサートを伝えている人たちはきっとテレビを見たりしているのです。精神が弱くなっていく近道です。お金がないとか、彼に振られたとか自分のことだけにかまけていると体制側で生きていることだとは肝に命じておきます。
存在論の前に、強力な言葉と共に高麗さんにらネックレスを選んでいただきました。外に出て、負けないように下さいました。家に帰って、鏡を見てすごく強く感じ嬉しいです。
ビデオ講演会では、受講生でも今回の仙台コンサートに来ない人が多いと聞き、もったいないではすまない気持ちです。内面が変わらなければ、環境は変わらないのは今の自分の現実を見れば誰だってわかることです。内面を変えるには、要のコンサートがどれほどの働き、効果、力になるか。NPO KOMA設立の日、高麗さんのお父さんの命日に東北の中心、仙台でのコンサートに来ないなんて。先生、高麗さんに出会えていながら、とても残念です。人生を変える機会を目の前で棒にふるように感じます。コンサートに参加して本当のことを正確にわかる感覚を養うことが始まりだと感じます。本日も1日、次元を超えていける経験を、ありがとうございます。