弓を射る
今日も美しい芍薬の花が届きました。皆様のお気持ちがありがたく、心より感謝申し上げます。迎賓館でのコンサートが終わり、外は嵐のように風雨が強く、予定していたマーブリングは中止としました。時は高句麗伝説に向かっていることを天候は伝えています。この度もレバノンの難民キャンプへ送る第2弾のTシャツと日本での支援Tシャツで2000枚予定していましたので、いつもの倍の時間が必要でしたが、全ては「高句麗伝説」へと向かっていることを生命でも感じていましたが、天候からも確認しました。
迎賓館コンサートでは、音と一体となり、音を聴いているという間もなく、どんどん動いている感覚です。とても心地よく、「生きている」と実感します。生きていくことは先へ進むよりないとわかります。少しの休憩の後に先生は今日も高句麗の事、朱蒙様の事をお話くださいました。高句麗側から書かれた書物が残っていないことは以前よりよくわかっておられたことであっても何故とお考えいただいていることがありがたく、何か明かされたことのない真実が解かれる兆しを感じ、お話を伺っているだけで胸の内がときめきます。敵であった新羅側が書いた書物であっても高句麗の強さは自ずとわかる文章になっているので実際は余程強かったのだというお話も想像がつきます。朱蒙は弓の名人です。後半の演奏は「弓」ですとおっしゃりピアノに向かわれた先生のお姿には武者震いが起こりました。そして第2音目が胸に飛び込み、胸の内が一気に拓かれました。同時に涙にじみました。戦さでは勝たねば生命落とします。勝つ為には敵の心臓を射るのですから、生命を殺すことになります。弓を射ることは、神と一体でなければ射ることはできないとわかりました。朱蒙様の悲しみ、苦悩も一体となり、神と一体となるべく心身の状態を経験します。心に何もなく、神と一体であるより弓を射ることはできません。生命賭けの圧倒的な迫力をもって戦の時代に「生きる」事、戦いに勝つあり方を経験することができました。想像できるようなことではないということがよくわかりました。先生のコンサートによってより、経験できない大変な経験です。強い衝撃が全身を走ります。終了後に、人を殺さないで勝つ為に、敵を追い込み、降伏させることが高句麗の戦であったとお聞きし、ほっとしました。演奏をお聴きし、私もそのように感じていたことが真であったことがわかり、願望ではなく真であったことに胸のざわつきも消えていきます。
昨夜から「高句麗伝説」に向かっている精神状態となっています。自分でありながら、大勢の人と一緒にいるようで、昨夜も眠れるものではありませんでした。感覚も多次元に触れているようで、目の前のことは抜けてしまう感覚もあります。たくさんの魂が集まっていることを感じます。歴史の一大事であることを集う魂は伝えています。無事に開催できますようにおおいなる存在と共にあることに尽くします。ありがとうございます。