幸せに生きる
今日も三鷹、風のホールでのコンサートの感動は生きる力となり、未来へと向かう気概溢れます。第一部は、「誕生してから」
「誕生してからどのように今までの人生を歩まれたのでしょう。そして、これからです。一般的にはその時々に目的を持って赤ちゃんの時には親が、自分でものを考えられるようになってからは自分が、目的を達成しようとやってこられたのではないでしょうか。ものを考えるようになってからは学校に行っているので、そのカリキュラムをこなすという、目的を持つとも持たされたとも言えない状況が続き、受験などではっきりした目的を持ち。。。なんでここで目的、目的と言っているかというと、身体からどのような活力が生まれようが、これらの目的の為にどんどん目的に吸収され、自主的な活動がどんどん奪われ、エネルギーが喪失していきます。本来、新たな生命が誕生するということがこのようなことで良いのでしょうか。誕生という、あまりにも素晴らし過ぎて、素晴らしいことを今一度お考えください。」
自ずと誕生してからの人生を考えました。背筋を伸ばし先生の音を聴くだけで胸動き、涙こみ上げます。私は恵まれていたとしか表現できない人生と受け止め、感謝よりありません。が、この世の作られた価値に頭が取られ、おかしな人間となってしまった故に苦しんだことも見えるように気づくのです。過去は戻ってきませんので、大いなる存在にそのまま自分をさらけ出し、受け止めていきます。先生の演奏は受容よりなく、気づいた時には生命に融合し、過去は今に融合し、生きる力と変わっていきます。なんとありがたいことかと感謝よりありません。目的ということにより、生まれる力を削がれること、奪われることも生命を持ってわかりました。子供の頃は、何かを学び、覚えることが楽しくて、なんでも一生懸命しますので、またその頃は運も良く、光に包まれ、何をしても断トツでした。何に張り合っているのかと問うこともありましたが、断トツでないと意味がないと感じていました。が、断トツになると突然落ちることも不思議なことと感じてきました。今日は目的としていたから目的が達成すると、終わるので落ちていくのだと見え、何の為の人生であるかがわからない人生を生きていた故と気づきます。それ故、苦しかったのだと改めてよくわかりました。この世で作られた価値の中で目的を作られ、目的に向かい物事を行うことで、常に光に溢れ、新しい力が生まれる生命の働き、力を潰してきたことに頭を垂れます。先生の演奏をお聴きしていると、第2部のメッセージにありました表現を経験していました。突然、光に満ち愛は発生し、身の内にしっかり溶け合うのです、との表現そのままを経験させていただきました。そして次から次へと愛が生まれるのです。時々により目的意識が強く、豊かな生命を押さえつけ、押し込めながらもここまで生きてこれましたことに深く感謝します。大地からはまるで私を応援するようにたくさんの働きかけがありました。三鷹の地は先祖代々が生きてきた地でありますので、大地を感じると高句麗を感じ、父を感じます。父が大地となり私を支えてくれているように感じ、ありがたくて涙こみ上げます。大地には歴史が刻まれています。人間の歴史は運命を繰り返し生きる人生を余儀なくされますので、悲しみ、苦しみ、言うに言えない辛さ。。。人間の生きてきた歴史が刻まれています。同時に、脈々と受け継がれてきた生命の働き、愛、魂の存在も感じます。大地の愛、知恵が私に語りかけてくれます。私の天性は大地の声が聞こえ、木や花と語り合い、魂の声が聞こえることを教えてくれました。これからも大地は共にあり、私に働きかけ語りかけてくれることを伝えてくれました。涙よりありません。父母は私がどうなってほしいと望んでいることはなかったと感じています。ただただ幸せに生きて欲しいと望んでいたと私は感じています。私は世界の平和を実現したい気持ちで生きていますが、世界の平和実現を目的にすることもおかしなことと気づきました。目的にすると、生命の力、常に湧き出づるように生まれてくる新しい力が失せていきます。演奏をお聴きしていると、お腹の底から愛に満ち、湧くように生まれてくる新しい力が溢れてきます。ただただ幸せを感じました。感謝の涙よりない一部でした。
第2部「愛に目的はありません」
「愛は母親の胎内で突然命が発生するように発生します。命が成長するように絶えず成長するということはあっても、それはどのような目的でもありません。愛のままで生きることの幸せ、あるいは世界を変革するエネルギーにはなり得ても、目的には決してなりません。偶然か突然かは問うことはできません。時により何の前触れもなく突然光に満ち愛は発生し身の内にしっかりと溶け合うという状態を「誕生」という言葉にしておきます。さらに次々と愛は発生し、誕生するというのが人間生命です。」
第一部で第2部まで経験させていただき、第2部はどのような経験をさせていただくのかと、演奏を心待ちにしました。私は三鷹の地にいると、父を感じてなりません。大地と共に父が存在していることを感じるのです。同時に高句麗の魂を感じます。たくさんの先祖の魂が私を支え、先生に出会えるまで生命を守ってくれました。出会ってからも、三鷹の地であったので人類史上初めての人間の生き方を実現する「いだき」を始めさせていただきました。今日もいだき講座を始めた私のアパートがあった地を通ってきました。高句麗の魂に守られ、いだきをさせていただけましたことに感謝こみ上げました。父母は私が幸せに生きることだけを願い、生きてくれました。父母の気持ちに報いていくことが人間としての生き方と深く感じ、何があっても幸せに生きていくと心に誓います。そして先生がピアノを演奏されるお姿にはいつも頭が下がります。どんな時も私達が生きていけるように生命賭け、生命に負担がかかるエネルギーと戦い、勝ち続け、人間としての生き方を自ら示し、私たちに伝え続けてくださっています。人間であれば先生のお気持ちに報いることは当然のことと考えます。人間が幸せに生きることを阻むものを見極め、どんな時も生命から生まれる光の芽を育てていくように生きていくことは人間とし幸せに生きていけると見えるようにわかります。先生に報い、私が生きていけるように支え続けてくださる方々、魂に報いていけるように幸せに生きることを心に誓う第2部でした。後半には突然高句麗より描けないアリラン的な演奏となり、魂揺さぶられ、涙、涙となります。高句麗の真、高句麗の愛、高句麗の真の底力が現ることを伝え続けてくださいました。一部の時も世界の平和を実現したい気持ちを考えましたが、この時も考えました。いつも14歳の時に先生に会いたかったと望むのは何故かと考えました。私は何か大きなことがやれると確かな感覚がありました。大きなこととは、世界を変えることや歴史が変わることです。ある時、闇が襲いかかった瞬間を今も覚えているのです。やれると感じていたある何かは葬られたと感じ、いつも闇に襲われる前の続きの人生を生きてみたいと心の内で望むのです。これが私の運命だったとは先生にお会いでき、運命が解明された時に何故闇に襲われたかもわかりました。今日は目的という言葉を何度もメッセージの中で教えていただき、今まで考えたこともないことを考えました。闇に襲われていなかったら、この世の価値の中にはまり、生命使われ、死んでいったと見えました。闇に襲われるものが自分の内にあることをいつも疎んじ、自分を責めることが多かったのですが、生命は助けられたと見える瞬間があり、驚きました。心臓の奥深く、要はしっかりと守られたとはっきりと見えました。人間はどこで生命助けられているかしれません。きちんとわかり生きることが人間であると感じ、コンサートにて毎日生きる上で一番大切な要に気づかせていただき、大きく変われますことは希望よりありません。
最近のコンサートでも私が「愛」と呼んでいる「あ」の音が鳴ると、無限な世界に生きる自由な生命を感じ、何でもできると大きな気持ちが生まれます。いつも大きなことをしたいと望みます。今日も世界を変える大きなことをしたいといつものように望む気持ちが生まれました。最近は毎夜、ノートにこの気持ちを記し、何をするかを書き、叶うようにと願い、一日を終えます。具体的に世界を変えるとはどのようなことであり、何をすれば良いかと常に考えます。一番世界を大きく変えているのは先生のコンサートであるとはよくわかっていますが、更に早く変えるにはと考えるのです。今日は先生のコンサートほど世界を変えている働きはないのですから、私達はコンサートにて愛を経験し愛に満ちる生命となり、生まれる気持ち、本音を表現し動くことで世界はある時変わっているということが現実のこととし確かなこととわかりました。目的にしたら、新しく生まれる力は失せていくと体を持ってよくわかりました。毎日、自分を責めていくことも目的を持つからとわかりました。愛に満ち、喜び、幸せに皆と楽しく働き、生きていければいいのだとわかり素直に受け止め、感謝しました。アンコールでの拍手は手を打つ度に心の誓いを生命に刻みました。愛に生き、幸せに生きていけばいいと。。。感動に震え、感謝に震え、これほどの幸せはありません。また明日もコンサートがあります。皆で一日の終わりの挨拶は「また明日ね」です。恵まれた人生に感謝します。亡き父母も先祖の魂も一緒に喜んでくれていることが手に取るようにわかります。ありがとうございます。