幸せな要
優しい光に包まれている幸せな一日を有難う御座いました。
ピアノとパイプオルガンをお聴きしていると、宇宙とひとつ、天とひとつ、魂ひとつに永遠の世界へとお招き頂いた遙かな体感が広がりました。人間の拘りとかではない大きな赦しを感じていると、自然に人と生命ひとつであることが分かっていきました。
人と一体であるときに、比較や評価が如何に不自然かを分かるに至りました。パイプオルガンの一本も欠けることのない全体で表現して下さっているのと同じに、全体の中ではひとつ欠けても悲しく、人が此処にいないことは自分の事のように悲しく寂しいのだと知りました。沢山の同じ光が生まれている中で誰がどう生きているのかは自然の巡りのようにあり、誰かがとか私がということのない全体の中のひとつであること、誰ひとりいないなんてあり得ないことを学びました。一人一人別々に生きてきた対象化された状態と全く違うひとつのいのちを生き始めました。
時間のない世界で、人とひとつに言葉もなく神々しい世界を共感できる事が幸せで感謝が溢れました。
小躍りしながら高麗さんに会いに行った父のお姉さんは高麗屋さんにいる時から此処に居られるだけで幸せ…コンサートでも始めから幸せと喜びいっぱいで一緒にいる間ずっと幸せと聞き続けました。何も問題ない検査結果になっていたことも感謝よりありません。
大いなる存在の側からしたら…という世界を体感させて頂き、いのちひとつである内面に平和を抱きました。途轍もない連続コンサートの始まりを有難うございます。