KEIKO KOMA Webサロン

年内最後の講座をありがとうございました。


年内最後の催しに参加させていただけ心よりありがとうございました。
再び古事記についてお聞きでき、さらに理解していけることに感謝いたしました。儀式を取り仕切る祭司とは異なる、神そのものが自らの中に宿って神のようになったヒトのことを「祭祀」ということをお聞きしました。コンサートで、まさか、、と大変な衝撃を受けたのは、創造主としての神が外側に存在しているのではなく、内側から生まれてくるという状態を経験したからでしょうか。まだ正しく言葉にできないのですが、その衝撃があるので先生のお話しを自分事としておききできるのです。長く自分と関係があるように感じられなかった日本神話がこの度自分の魂の元としてわかるように変化しつつあるこの時がどれだけ尊いか畏れを感じます。アメリカでは、アミニズムという表現で日本の古代宗教を説明されましたが、一神教の観念からみた表現であり、その実は何も理解されていないことの中身を初めて知りました。祭祀と呼ばれるヒトの資質に神宿り場をつくっていく日本の始まり。アメノミナカヌシが現れたと同時に高天原が成立する日本の始まり。すごいと感じます。
神はいつも自分の対象となる存在としてとらえていたため、内側から生まれる力を感じたとき、天地がひっくり返るほどの驚きでした。
応用コースに続いた存在論にて、「なぜ生まれたのかをわかるか?」と何度も問われました。なぜ生まれたのかを問うている人間が、なぜこのような結果になるのか、と以前先生に怒られたことがあります。本当に存在を問うていれば、起こるはずのない結果を招いた自分の半端さに今更ながら向き合うような状態でした。今目の前で整理しなければいけない問題も、なぜ生まれたのかを問うと、どう向かうべきかが決まってきました。まだ言葉にならないけれど自分の生まれた意味としてある何かを生命の内には感じられ、それを実現することを中心に考え、そこから生きる環境を整えていくべきだと感じます。存在を明確にすることを覆い隠すように被るものが自分の中にあることも自覚します。被るものは払いのけ存在を明確にすることの輝きで行くべきだと良心は訴えます。
ありがとうございます。

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東京カフェ高麗屋にて
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府中の森芸術劇場 ウィーンホールにて
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