KEIKO KOMA Webサロン

平和への近道


11年前のあの日は、朝から寒く前日のPコートから、ダウンコートを羽織り仕事へと向かいました。何事もなく仕事をしていると、地面が突き上がるような揺れが始まり止まない地震に、地球はどうなってしまったのだろうと感じながら、3分以上の揺れを感じていました。物は落ち、避難とばかりに外へでたら、電柱がまるでゴム棒のように揺れていました。従兄妹の愛ちゃんから「大丈夫?!」とメールを頂いた後、6日以上連絡は取れない状態でした。会社の車で南へ向かう中、カーテレビから津波のシーンが流れ、自宅が津波で崩壊する場面を見た時に、理解に苦しみました。

何が起こったの?!

家族の安否は、なせが不安はなかったですが、顔を見るまで安心はできませんでした。電気もなく、暗い中19過ぎに、名取市役所に着いたとき、閖上の住民は名取文化会館に避難しています!と聞き、家族を探したら、祖母と近所の方が居て安心しました。家族4人は安否確認はできましたが、父親とかは会えず、3日の朝に再会できました。6日後に犬も見つかり、わたしら家族は運が良かったとしかいえませんでした。借り上げ住宅に住み、3年後には元いた自宅に戻る?事はできましたが、周りはみるかげもなく、街は崩壊していました。いまのウクライナの状況があまりに酷く、専制政治と民主主義であるとわかりますが、そこに生きている人にとっては、生命よりないのに、一部の人間の為に犠牲なる世はおかしいです。痛みのない戦争はありません。人間の生命を考え、平和へ向かう動きになるように頑張ります。

本日、コンサート、講座向かわせていただきます。オンデマンドにして、閖上海岸で聴こうと考えていましたが、震災経験者が会場に向かうことが報われると考え向かわせていただきます。本日もよろしくお願い致します。

道中国見ICにて

KEIKO KOMA Webサロン
私の出会った 高麗恵子作品展
KEIKO KOMA Webサロン
船の出航
KEIKO KOMA Webサロン
盛岡にて