希望のコンサートをありがとうございます。
昨日は久しぶりにコンサートに参加させていただきました。先生の演奏に集中することに努めると、体に血が巡り女性であることを自覚し涙が流れます。座っていることが苦痛に感じるほど体の部分が痛み、このところ何も言わずに耐えている父のこととわかります。このところ父と一緒にご飯が食べれなくなっていましたが、高麗さんを囲んでの京都でのぬくもりの時間が蘇り、聖なる時間であったと改めてわかり、この時間があればと心に希望の光が灯りました。
昨日は終戦記念日でもあり、焼夷弾で大やけどをしながら家を守った祖母の話を思い出しました。幼いから直接祖母に聞き火傷の跡も見て、戦争は怖いから嫌だというだけで真摯に考えることから逃げていたと感じます。原爆のことも、特に同じ九州の人間として長崎のことを深く考えるこの頃です。
また母の介護を通じて、失敗も多々あり母の体や心を傷つけながら学ばせていただいたことがたくさんあり母にも申し訳なく、最近では自分にも返ってきて不安を感じ、このままでは自分も母と同じになると感じていましたことからも、抜け出す方向へと希望が生まれます。
自分の在り方で周りが大きく変わることを経験しています。講座受けた命がどれほど貴重で尊くかけがえのないものであるからです。自分や両親のことで精一杯では何のお役にもたてません。生き直しの機会をありがとうございます。自分が元気で明るく生きてこそと感じます。自分が変わることが世界平和にも役に立てるならばと希望を感じる今をありがとうございます。
先生、高麗さんいつも先駆けて下さりありがとうございました。
本日もよろしくお願い申し上げます。
カフェ哲にも伺わせていただきます。遅ればせながら、新生まことにおめでとうございます。