導かれて
ギリギリですが、人類は持ちこたえている事を感じます。地球には申し訳ないと感じています。
私個人のこの一年のトピックは、7月に入り、ふと内面が大きく変わったことを自覚した事です。
名前を聞かれます。「お名前は?」と聞かれても「姓と名」を答えることが出来ず、先ず「姓」を言いますと、下のお名前もと聞かれるので仕方なくやっと「名」を答えます。自分でも厄介な人だな、なんで姓名を一緒に言えないのか、なんで抵抗するのか、ずっと疑問に思いながらの事でした、それまでは。ところが、7月に入るとハッキリと抵抗が無く、答えられる様になっていました。同時に、わが存在も感じました。多くの人にはどうでもいい事かもしれませんが、書かせて頂きました。私なんかとか、私がなんで?と思う事多く、そうは言っても魂あればついと動くわけです。家族も誰も理解してもらえなくても「存在」し始めた?事に感謝しました。生きている自覚の始まりと感じます。
昨日、このマンションの大家さんと玄関でお会いし立ち話をしてました。50㌢×1m位の小さな庭を造られています。木やその花の色などお話ししてくれました。ふと、この石はね、被爆の石なの。と話された時、導かれたと感じました。70歳代で、女、一人暮らしの条件では、住まいを貸してくれない中、どうぞと許可を下さったので此処に居られるのです。
11月高句麗伝説のあと、9月9日の音楽を聴きながら、愛の街づくり、愛の国づくりと本音生まれました。
いだきしん先生、高麗恵子さま、皆様、この一年をありがとうございました。来年も宜しくお願い申し上げます。
皆様のご多幸をこ心より祈念申し上げます。
