安らぐ空間
4/23 府中の森コンサート
人混みを通り抜ける時、これだけの人で渦めいている意識の海のゴッチャゴチャの中を、混乱することなくスルリと通り抜けられる術はないものかといつも感じています。結構頑張って走ったのですが後から分かったことは、もっと走れば間にあう電車に乗れていたことです。あと1分早ければ、だったのです。そうだったのか。。。と。
一部の途中から、入らせて頂きました。
一部の途中からの演奏では、舞台の中央から左右に向って扇状に段々大きくなって放射していく六角形の白っぽい幾何学物体をいくつも観ました。ピアノの倍音の重なる、どこまでも伸びゆく響きだったのでしょうか。
見間違いかと疑いましたが、演奏に身を任せて自然にいると、やはりそう観えました。
力が入っていては、豊かなものも潰して見えなくなってしまうのだと感じました。
何かの音により喉の奥から押し込めていたものが現れたのか、喉がつっかかるように咳が出そうになり慌てて押さえるのに必死の涙でした。
内から真を表すものを妨げる何かが出ていってくれたのならこんな嬉しいことはありません。
二部は場所を変えて別の席で聴かせて頂きました。先生のお着物は真っ白く、今日のコンサートは神さまに会えるのかも、と感じました。
二部のメッセージは、「遭遇」。
昨日のコンサートは、経験したことをそのまま表現させて頂きました。フラフラになって退場し、バランス感覚を失い、真っ直ぐ歩けなかったのは、いだきのコンサートに参加してはじめてのことでした。翌朝は死んでいたらどうしょうと不安をかすめるほどの心地でしたので、寝ている間に朝は普通に戻っていたのでとても安心しました。
二部のメッセージから、UFOとも違う未知に出会えるこれからなのだと考えると、「偶然」を演奏されましたので、これからが楽しみになってきます。ここまで書いていきますと、思い出してきます。
ピアノを弾かれる先生のお姿と、耳で聴くピアノの音が、内面でひとつになる経験をさせて頂くとき、どうしても邪魔になる頭の問題を感じます。
ピアノの低音による、おおいなる存在の声を表す、といつも感じているピアノの音では、なにもかも委ねて魂は受け入れられ、おおいなる存在とひとつにいられる最高の喜びを体験します。
内なる最もな魂とひとつとなり生きていることを感じる瞬間瞬間に、本来の魂の要求を感じるのです。
人生、いだきというこのような豊かな経験が出来る場を知らないで、体を部分でこき使い、あげくの果に体を痛め、(自分も沢山やってきましたので)同じことの繰り返しを毎日、何年もやって心身疲労しまくって人生終えていくのか、と心痛め問いたくなる人たちに、おおいなる存在と出会える経験をして頂いたなら、生命力は蘇り、生きていく心底の力が湧き出てくるでしょう、と感じます。古代高句麗時代やエジプト、マヤに巨石文化がかつてあったように、重いものも軽々とたやすく持てたりするような、ハイテクノロジーな人間の状態になっていかないものだろうか、と最近感じています。
表現させて頂ける場に感謝しています。
ありがとうございます。