学び
内なる人間 高天原に一条の光
昨日のコンサートで高天原というメッセージをちょくせつ高麗さんが読まれるメッセージでお聴きできたのは、昨日の府中コンサートが自分にとっては初めてでした。
神といわれる超越した存在。宇宙。人間として誰の内にも在るいのちの源はたえず超越した存在に向かうこと。それが歓び。学ぶということがどういうことなのか、その根源を昨日のコンサートで知りました。求めていることは、なにを表すにしても、自分を超越した存在に向かっていくこと。螺旋状にある階段を昇っていくように真理を学ぶことは人間として唯一備わっている歓びと、自分の内で感じていけたことはとても大きな気づきになりました。今まで漠然としていたことが中心に根を下ろした感じです。ここが無ければどのような表現も自分だけの価値観と感じます。
二部のメッセージはとてもロマンチックでした。高天原とは、やっぱり天にあり。神々の世界は神話のこととしてあるけれど、普遍性をもってこの宇宙に存在していて、神々はやっぱり在る。と信じる信じないを超えて目の前に在りました。とてもわかりやすく聴こえました。
はじまりのパイプオルガンの響きは圧倒的で驚きから始まりました。
タンザニアのコンサートで経験した赤子の泣き声のように私には響きました。恐ろしくもありこの世の響きではないと誰にもわかる音でした。神が現れる音は神秘的な風のように聴こえます。先生しか表せない音に神を感じるとき眠くなる自分がいます。学んでいないことを認めるときと、学ぶことの本質を同時にわかるときです。
いだき講座やコンサートに向かうことが自分を超えていける真理を学ぶ本質とここから又来年を生きていきたいです。
コンサートをありがとうございました。