存在
コグリョカフェでの2回目になります高麗さんに書いていただく生命の声の詩をいただきました。1回目も、2回目も、直前に、ただならない事が起こり、コグリョカフェにお伺いするのが憚られる事態が起こります。私にとって敷居が高いコグリョカフェですが、昨日も断念することなくお伺いさせていただけるのでした。
ドキドキ鼓動が止まらない中、前回のときの真の自分ではなく、昨日はずばり、いのちの声を書いていただきました。
ドキドキと一緒に鳥肌がたち、確信と逃げたい気持ちもありながら、鳥肌があとからあとから立ってきます。最後に高麗さんが仰ってくださった言葉がいのちに響きます。
新たな自分で生きていく、そう生きていきたいのよね、でも、生きていくなのです。
と書いてくださいました。
京都コンサートのパイプオルガンの音、響きは、人間界を超えて、存在の元の元の次元と感じる世界に引き上げられました。頭を超えて、体さえも超えていくような世界があるのだと、パイプオルガンの音は天からの啓示のように聴こえます。掲示とは、存在を現し、生きることです。
2部では、内面に、青いまるい中心のような光りの玉がどんどん大きくなり、中心から光りを放っている心模様がみえました。何度もスパークを繰り返す青い光り、精神の青い色と感じる光でした。
家に残した家族のことの心配もありますが、琵琶湖コンサートに向かいます。
とんでもない前日がひっくり返る京都の尊い一日をありがとうございました。