存在
コンサート翌日の比叡山は霧に包まれ、雨に濡れる木々、草花は新しい生命を得たように潤い輝いています。山を降りる道の木々は若葉輝き、光の花が咲いているようにあざやかな目を見張る輝きに満ちています。美しい季節です。コンサートの経験が深まる京都事務所での応用コースと存在論での経験でした。「実存」については自分の経験を通し、わかることができました。危機にある時、人間は存在あらわるとはよくわかります。私もウクライナでお亡くなりになった方々の霊魂を身に受け、倒れてから真の自分でより生きていけなくなりました。そして宇宙の生まれる3段階前の世界とつながる生命の深奥に輝く真の光を中心とし生きることなくしては苦しくて生きていけなくなりました。ここで生きれば身も心も軽く、自由に生きていけます。やっとここで生きることを身につけるより生きていけない状況となり、真の人生はこれからと感じます。
4月19日のコンサートから先生の存在があらわれたと見えています。昨日の京都コンサートでは、今までの知識や経験によってはとらえることもできない存在が現れています。その存在は神と等しく、この存在により生命は活かされているとわかる存在です。先生の存在と気づきます。この地球上で今まであらわることのなかった存在が存在していることで世界は変わるよりないことも私には見えます。宇宙の生まれる3段階前の世界とつながり、真の自分を表し生き、世界に役立つ活動をしていきたい気持ちでいっぱいです。要の京都での次の5月22日のコンサートは満席にせねばならないと強く感じています。日本の為、世界の為に満席よりないと甚く感じています。
本日、ロシア正教のイースターのミサにて大統領も司祭も世界の平和を祈っている映像を見ました。ウクライナでお亡くなりになっているたくさんの方々が生命に映っていました。生命は偽れないことを見ました。人間の生命を犠牲にすることは決してあってはならないことです。一刻も早く生命の犠牲がなくなりますことを祈り、解決の道でありますコンサート開催に尽くして参ります。これだけのことが起こっている今、今までと同じには生きていけないのです。解決の道があることを知っている私たちはもっと表現し動くことが必要と甚く感じています。今日の講座でも日本の危機を質問される方々、お答えになる先生のお話からも日本は危機にあることをより感じました。存在あらわすより生きていけない状況は人間とし真っ当に生きる最大のチャンスですが、生きる社会は最大の危機であります。危機にならないと存在あらわせないことはあまりに悲しく愚かであると身にしみます。今こそ、生まれ持っての資質を顕わし、世界の平和実現へ邁進します。明後日は三鷹風のホールでのコンサートがございます。コンサートに賭けています。ありがとうございます。