存在論
生命の奥にある悲しみが、今日の先生がお話しくださった事実をわかることによって溶け出し癒されていくことを感じています。仰るように日常で生じる問題をその都度その都度現象を追うようにして解決しようとしても、一時的に答えが出ているにすぎず、再び問題は出現し、一向に根源的には問題解決はなされていないことを経験していました。その問題と言っていることの元は、デカルトに遡り、人間を頭と身体に分けた二元論から始まっていることを知りました。頭が身体を支配しているような構造を作り上げ、身体は機械の如く観察され不祥事が生じれば修理することによって動いているかのように意識されていることを知ります。デカルトが近代哲学の元となり、科学が発展していった結果は、問題を解決しようとしてさらに問題を作ってしまう現代であること。問題はどんどんと細分化され、問題だらけの社会の中で、先生の仰るように何の問題に焦点を当てるか、そのことを専門と呼び、専門の中で仕事をしてお金を稼ぐことはできてしまう現代です。
一方で母と子で生命の一体感を経験する一元論の状態を知り、その衝撃は深く胸の奥に突き刺さり、悲しみに涙が溢れ出ました。生まれたばかりの子供を母から離すことを自律法とした結果、大人になっても成長できず抱え続けていく絶え間ない不安感や子供の頃に満たされなかった欲求を満たそうと必死に得れないものを掴もうとする反応を繰り返し続けて続けていることを自覚します。過去をやり直すことは出来ず、諦めに近い気持ちに襲われたとき、先生は人間には自己回復力があることを教えてくださり、一条の希望を見出しました。消すことも否定することもできない過去を今ここで乗り越えることに賭けたいと、新しい生命に変わりたいと生まれました。厳しいのが現実ですが、抜け出していくこと以外にないことを考えます。