存在論ありがとうございます。
杉並公会堂は10才のときに初めて大勢の人前で童謡を歌った会場です。当時は扇橋という江東区の父の兄の家に一時住んでいました。江東区から杉並は、子供のころ、とても遠い東京の外れに行ったかのような記憶ですが、今こうして存在論で、本来はなにもない、無人ということとが、生まれつきあった感覚や、親や、先祖により、見出された自分から、本来はなにもないことを先生によりわかっていける場になっていることが、10才の時のことでありながら、今へと、大きくジャンプしていきました。頭で固定することが自分の未来と今を不自由にし複雑にしていることはわかってはいても、変われないでいることは、自分と思い込んでいることから離れないからと、昨日の存在論で確かにしました。今と平行しながらも全く違う何かがあるのだとしたら、、何も無いから次が生まれる。以前先生からお聴きしたことが昨日ははっきりとわかっていきました。
2020” はじまりの存在論をありがとうございます。