存在を問う
コンサート、講座に参加させていただきありがとうございました。いつお伺いしても明るく温かく迎えていただき、一番大事なことを示していただき、とても助かっております。
日常や社会で多くの人と生きる上では、表面的な制度的なことや利害を問題にすることは避けては通れないです。だけど、そこに埋没してしまうと、本当は大切にしたかったはずの個々人が抜け落ちて争いになったり、また誰もがこれでいいと思うような時も危ないとお聞きして、存在を問う上ではまた違うことがわかりました。普段忙しなく生きると、いだきで経験できたことすら嘘だったかのように感じてしまうことがありますが、逆転してしまっていることをわかります。関係性もですし、環境や場の影響もとても大きいです。それを作る人の影響は大きいです。本当は社会的にある以前の私であり、存在なのになかなか向き合われることもなく、大人ですら向き合ってもどうしていいかわからないのがまだ悲しい現状だと思いますが、学問的にも人間性の新しい認知が広がってきているとお聞きして希望を感じさせていただきます。
一人ひとりを大切にしていただき、可能性を拓いてくださり改めてすごいお仕事をなさっていただいているとわかります。
しかし生き物が多様であるように、可能性は千差万別であるものなのに、頭は檻の中に閉じ込められたみたいに差異や出来事を認識できないって、不便なことだと思います。そういえば身体の中で起こっていることが夢の中に出てくると感じることはありますが…。名前がつく以前の多様な可能性やそのひらめきを実行してみることや、女性性のお話も、嬉しいながら私はポカンとしておったのですが、理解しようとしてみると言葉にしようとしてみると納得できてきて明るくなってきました。
また元気にお伺いさせていただければと思います。
幸せな時をありがとうございました。
