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存在する


凄い雷、豪雨と大渋滞の中を帰りつきました。仙台から帰る道中でしたが、たくさんのことを行なった感じで帰宅しました。空に稲光が走り、雷鳴轟き、目の前が見えない位の豪雨は怖いと感じました。雷が落ちて家が3度全焼した幼い頃のことも蘇りました。つくづくと人生を考えました。

昨日、結工房で先生にコーヒーを淹れてほしいとのお客様のご要望があったようで、先生がコーヒーを淹れることになった時、焙煎に集中しないといけないと先生からお聞きしていたので、私はコーヒーを淹れさせていただく為に一緒に結工房に行かせていただくことになりましたので、瞬間、用済みと感じてしまい、私が淹れるコーヒーではダメなのだと落ち込んでしまったのでした。いつものようにすぐにやることを探し、食器を洗ったりしているうちに内面が整ってきましたので、それで済ましていました。が、その後色々な感覚や感情が出てきて自分を疎外しているのだと気づきました。一番困るのは、生きていく気力がなくなることです。疎外感を感じると生きる場がなく死ぬよりない感覚となるのです。最近はこの感覚に襲われることが多く、苦しんでいました。7月19日に三鷹にて開催しました「私」をテーマとしたコンサートの前に死ぬ目に遭いましたが、コンサートを経験させていただき、対社会に対する私で生きることの苦しみ、限界を生命をもってわかりました。私は私で生きていきたいと切望するようになりました。今までは社会で生きていくので、当たり前と思い生きてきたことです。それからは仕事だからとかやらねばならぬと言い聞かせてやることが苦痛と感じてきました。生きて抜け出し真の人生を生きていけることは夢のようだと考え、そう生きるように全てが動いていることが目に見えてわかりました。今朝は心臓が重く、目覚めました。心臓の曇りを言葉にするなら「面倒臭い」です。何が面倒臭いかを考えました。そして昨日焙煎してくださいました「新、新熱情」コーヒーのアイスコーヒー用に焙煎してくださったコーヒーを淹れ、結工房のスッタフが作ってくれた新作あんぱんをいただき、やっと力が入り、動けるようになりました。そして帰れるようになりました。何が面倒かは、人や周りとの兼ね合いを見たり、考えたりし自分をそのまま表せずにいつも中途半端にある状態です。その後は、いつも自分が悪いと自分を責めることで全ての問題は済んだようにし、言い聞かせながら自分を改善しようとしたりと、すべては作り物と気づきます。あるがままを受け止め、生まれる気持ちを素直に表し、道を見出していけばいいことなのに、自分が悪いと片付けてきました。今まで元気で良い状態を感じてきたことも、一部分が興奮しているだけであったと気づきました。その状態になることを目指しても今はならないことで気づかせていただきました。心臓の奥を感じた時、永遠をわかっていました。存在を表し生きることが永遠とわかりました。何かをする為に生きている訳ではなく、存在することが生きることとわかります。疎外感に襲われ、生きる場がなく死ぬよりないと感じる独特の感覚が消えていってくれました。自分で自分を疎外することはやめられます。これからは存在する状態で生き、表現が生まれることを表していく練習をしていこうと考えると、「生きている」と感じられるようになりました。対象化し見、自分も他者も分けて見ていることは疎外よりありません。生命一つであり魂ひとつを取り戻せば、疎外感に襲われることもなく「存在」します。7月に入り、何もかも一層する勢いで大きく変化しました。善の神が働き続けてくださっているとわかると、自分では当たり前となってしまっている生命に負担がかかる生き方が露わになり、変えるよりないことに気づくのは善の神のおはたらきとわかります。私にとっては毎日大きな山を乗り越えていく感覚でした。疎外感が一番苦しく感じました。生きる場がなくなると死ぬよりなくなる限界に苦しみます。やることで生きる場を作ってきたことも気づきました。この世で何かをするということは疎外されます。頑張れば頑張るほどにわかってほしいと思い、存在することは忘れてしまいます。これからは存在することで生きる場をつくります。きっと皆が生きる場となると感じます。自分が生き、存在し人が生きる場を作っていけます。ここがはじまりです。やっとスタートできそうです。もっとも大切なコンサートの場作りを黙々としていければ幸いです。

豪雨も私が車を降りる時には収まってくれました。先生は自然が同時に動くことは凄いことと教えてくれました。このことを受け止め、人間とし生きていきます。尊い一日をありがとうございます。

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朝日