存在あらわる
今日は、5月14日迎賓館にて開催しました「高句麗伝説」コンサートを聴く会サロンを開催しました。何と表現していいのかわかりませんが、私から見える図形は、迎賓館とか、こことか、スピーカーとか聞こえる音とか、そういう全ての枠や境がなくなり、まるで目の前で演奏を聴いているようでした。存在あらわれ、それはあまりに鮮明にあらわれ、先生がここにいるかのようでした。何の覆いも境もない空間に先生の存在が際立ってあらわれ、畏れ多いばかりでした。音は生命にダイレクトに入ってきます。そして涙ばかりがこみ上げます。最後の父の詩の時のクラリネットの音が心臓に飛び込み、全身に音が広がり全身を貫き、天の彼方まで広がりました。父に出会い、存在に出会えた悲しみ、愛を経験し、涙よりありません。父を感じる時、高句麗の歴史を感じるのです。それは空気であったり香りであったりですが、見え、感じる世界を言葉にするなら、高句麗なのです。今日は高句麗の真に出会い、自分の生き方を芯から正しました。真の人間になる時と気持ちは決まっていますので、成るように日々きちんと生きていきます。生命から欲する気持ちは、世界中の人と共に先生のコンサートで経験する愛を分かち合いたい気持ちです。具体的にどのようにしたら実現できるのか日々考えています。今日はふと、生命通信はできると感じました。コンサートで経験する愛のままに生きる事は世界に伝わっていくと感じます。素晴らしい聴く会の経験を真にありがとうございます。