KEIKO KOMA Webサロン

存在 銀河鉄道ありがとう ごめんなさい


いつの間にか単なる存在者になってしまう状態を暴き光を照らし、銀河鉄道はまた走っていってくれました。またお会いできる日を心待ちにしています。

アナウンスはコンサートの始まる前から決まっているはずですし、全体を現しているのですが、二部のアナウンスはまるで休憩時間を経て書かれたメッセージではないかと体で感じ目を丸くしました。私の悪い状態、存在者になってしまっているのを見抜かれているようで恐れ入ったのです。今の私のように鈍い人間は、自分の存在を隠してしまうのはもちろんのこと、それだけでなく、人様の存在まで隠してしまうのに恐怖を覚えました。時は二度と戻らない。

今回の私の銀河鉄道への乗車の仕方は、銀河鉄道にも先生にも申し訳ないことに、全然だめでした。そう感じました。勿体なかった。かつてわたしたちのゴミを運んでくれた銀河鉄道。今回もわたしたちを乗せた途端に重くなりしばらく動きがゆっくりになって、でもしばらくしてやっとエンジンを本調子にしてあるところからはスピードを上げて進んでいかれたように感じました。こんな乗車の仕方じゃ先生にも申し訳ない、存在を表すために気持ちの表現を出来るようにと考えました。

存在表す。そのために気持ちを表現し続けるといっても違和感があったときはどうしたら良いのか?その時にその場で違和感があればまだ良い。なんだか居心地が良かったりすると違和感にすら気付かずふわふわと過ごしてしまい、後からふとしたきっかけで気付き苦しくなり悶絶する。違和感のあるときはその違和感は、存在のヒントなのだから見逃さずに自らに問うが、それでもあまりに大きな疑問が湧くと、自分の中ではすぐに処理できず、なぜなんだろうかと問い続ける。人と生きるためには問い続けなくてはいつの間にか慣れて違和感を無視してしまう。長年自らの内の声よりも外側を優先させてきたために本当に自分の声など聞いて良いのかな?とも、いまだに思う癖もある。しかし、自分の声を聞かないと自分を受け入れていないので、結果人様をも受け容れないことになる。

先日アントレプレヌールサロンの会場で高麗さんのお姿を拝見して幸運にもすれ違い様にご挨拶をさせていただき、この方が笑顔でお元気でいらっしゃって本当に良かったという気持ちになりました。いだき講座で行われている背景などは自分ではwebサロンやkeikokoma.chなどで情報を知るよりなく、わからないことのほうが大部分ですが、一部だとしても、知れるのは嬉しいと。とてつもないことを乗り越えて人も空間も変えてくださる存在がいらっしゃる。それを忘れてはいけないと、忘れることなんてもちろんないつもりですが、改めて、人間なら忘れてはならないと感じました。

心臓がごとごと動いたアントレプレヌールサロンでは、自分を経営するお話をお聞きしました。働いている人に関して見抜き、整理し、不良労働を処理するというお話でしたが、わたしは今人を雇っていないので、自分について見抜く、自分の不良労働を処理することについて考えました。結局は生命感覚と感じます。

21日の書き込みはここまで書いて、「書いてどうなるのだろう」と思ってしまい書き込みをしませんでした。自分の言葉になんだか「私、やってます!」という変な感じばかりが乗って気持ち悪く違和感があり、黙ってやったほうが良いと感じたのです。でも高麗さんへの気持ちの表現は?これもわざわざ愛の告白をしなくても・・・と思ってしまうというか、好きなら黙って好きでいればいいと思ってしまっていました。こういうちょっとした習慣が今とこれからの時代は存在曇らせていくのかなと感じました。

本日もありがとうございます。単なる存在者になった状態でなんぼコンサート経験しても無意味と感じました。日々人の中で修業します。銀河鉄道、ごめんなさい。でもお会いできて本当に嬉しかったです。教わったこと忘れません。ありがとうございます。

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東京高麗屋にて
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KOMAGESHA第7弾