天
武蔵野の会場にはパイプオルガンがあります。天へ通じ、天を顕すパイプオルガンの音は否応なくどんなときも神の世界へと向かいます。
一部はイランの建築物で代表されるような幾重にも重なる多重な幾何学をみるようでした。平面な世界ではなく、幾何学的な多重な音にみえる世界から天へと飛翔していきます。二部は、天国とは、光とは、魂が生まれる前の天の光をぜんぶまとめて放出されたようなゴールドの光が溢れ、光のエネルギーはさらに拡大しつづけ溢れ、爆破しそうな天の世界が真っ直ぐに立ち顕れ、そして膨張し、ぐんぐんひろがっていきます。空間がどんどん膨らみこれ以上ないほどの爆破的エネルギーに満ち溢れていきました。不意に現れたのは、物理的に年をとっていく悲しみでした。女としてあるより、中性化していく方を選び、生きていたことが悲しみとなっていました。生まれた生命は誰でもが年を重ねていくのは人間の宿命でも、女として生まれ、女であることが枯れていくことは悲しいと、泣きたいほどの女性性を内に感じました。耐えられないことでした。自分のなかにこれほどまでに女性性があったとは…中性化して生きてきたことは生命にとっては悲しみであったのだとはじめて認めていけました。物理的に年はとっても内面の輝きは無限、ここは年取らないと、美しいひかりの音に向きが変わったとき嘆きは消えました。そうだった!!というくらい発見した気持ちになりました。最後は魂のふるさとを感じ涙ばかりが頬を伝わります。知らない世界なのに懐かしいと感じる涙なのです。
ラストのアンコール手拍子は、先生の演奏のリズムがそのまま聴こえていました。
魂のふるさとに出会えたような武蔵野のコンサートです。
ありがとうございます。