天運コーヒーから
川崎でとても痛ましく悲しい事件があって心と身が痛んでしまっていた時、東京高麗屋さんで「天運コーヒー」をはじめて戴きました。とても深遠で余計な意識も過去もなくなり 内には未来より無くなっていました。命に光が満たされる体感で、汗が出るほどあつくなり、何も無いのに全てある、比叡山のお茶室で過ごした時が蘇りました。コーヒーであってコーヒーでない、本当に別次元のスペシャルのスペシャル・スペシャルなコーヒーです。より良い日を過ごし、より良く働いていきたいと感じます。アレルギーの状態は受ける力は強くても表現・実行していく力が足りないと伺ったことがあり、出来る範囲でやっているからとミーティングでお話戴いたこと心に在ります。ミーティングから本当の本音、を考えます。本当の本音をあきらめないこと、また個人で考える以上に社会の状況が深刻となっていることで事故の多発や事件も変容して起きていること…と猶予のない時と肌身で感じます。ビデオ講演会でもお話してくださるように子どもたちが生きられる環境とは言えず、大人として責任をもっていこうと感じます。
今週はアントレプレヌールサロン、そして「本音で生きて下さい」講演会に参加しました。アントレプレヌールサロンでは、所得を上げることを考えることお話しくださり、横ばいでも貧しい中に入ること、日本の少子化・高齢化、それは世界初のことで良くいけば世界に示していけること、その為には質の高い能力が必要で質の良い状態をすることが大事であること伺いました。老人ホームでのお話から働く人の質をあげていくことで入居される方々が元気になっていくお話は希望です。先生が表に出ていく、ということ、先生の本音はワケが違う、とおっしゃって 小さく生きている自分を目の当たりにします。けれども 世界の未来のこと考えて生きている人たちに会い 世界中の人たちに知らせていけるよう動きをつくっていきたいと感じます。働いて能力上げていく、働くことで次の手はある、とのお話から 端々のことでない仕事をつくること考えます。
東北でのお話、アントレプレヌールサロンでの先生のお話を経て経験する高麗さんの「本音で生きて下さい講演会」では、オモテ・ウラ、という前提があって本音のお話を伺うと立体的に生命のオンと意識の違いとが分かり始めるようでした。先生と会われる前は、新聞をくまなく読みながらも全く入って来ない状態が、先生にお会いして本当のことが分かっていくうち、何が本当で何が偽りかが見えるように分かるようになったというお話。本音で生きるはオモテ、ウラは世俗、世間、とハッキリとして参ります。これからは、人もオモテをわかりはじめると感じています。高麗さんの講演会は、何度聴いても奥が深く、新しい発見があって未来へ導く標のように何をするか見えたり、身に成る理解となっていきます。昨日、北朝鮮の関連のドキュメンタリーの再放送を偶然見ました。北にいた時は人生はない、と何度もあって、もちろん過酷な状況に身をおかれて過ごした時間のことではありますが、日本にいても普通に生きて普通に過ごし、平均値を気にした世俗にあわせて本音のない生き方で人生と言えるのかと本音で生きることと自由を考え いだきに出会えた人生、生まれてきた意味とこれからを考えました。三鷹、武蔵野のコンサートと宜しくお願いいたします。