天才養成講座
盛岡の太陽はとても強く眩しく、川面は輝き、山は美しく迎えてくれます。ピリッとした寒さに、心が引き締まります。気候と気質は密接に関係していると感じながら冬の風の中を、応用コースに参加しました。頭が良くなっているのに、人は頭が良くなった認識がない。ちがうことをやって、変わったことを活かさないとダメだとは、良くわかります。能力を上げたければ、負荷をかけるよりありません。まして、頭が良くなっていて同じことをしていては、戻ってしまいます。頭が悪いかどうかわかるのは、論理的であるかとやり切ってるかどうか。良く、覚えておきます。先生が大学で天才の研究をされていて、周りから変わってる人と言われてる人が天才には多いと聞き、私も周りから変わってるとかユニークと言われ、母には私は破格だから普通に会社で仕事したり結婚することは諦めてると言われ、とても心配していました。母にまでも変わり者扱いされることには、ものすごく抵抗がありましたが、私が母にいだきで生きれば、自分が変われば世界に伝搬するから私はこの生き方で生きると言った時には、涙を流して、「マミちゃんは、どうやって生きていくのかと思ってたけど、やっと生きる道を見つけたんやな、すごいことするんやな」と喜んでくれました。わかってもらえると思わなかったので、びっくりしました。自分が天才とは考えたこともありませんが、いだき講座が本来は天才養成講座であり、自分は変わり者と言われてきたので、天才になれる可能性はあるなら、同じ生きるなら天才で生きてみたいです。ただの変わり者で終わるのは嫌です。世界を変える天才、すごいです。ある年齢になると右脳と左脳が一つに働き出し、歳をとることがプラスに働くなら、本当に長生きしていきたいです。今日のピアノは、目を閉じて聴くと音が見えるような初めての感じかして面白かったです。
存在論では、脳が働くとこだわりが全部なくなって、例えばいい男を追っかけてても、たかが1人の男っていう風に全部わかっちゃうという例が、とてもわかりやすかったです。新しいことや、他のことやるより、やってられないってことになる。俗世だと2、3%の脳が働いているような世界で作られた中で、勉強してほめられても、人に存在認めてもらってるだけ。この感じが色濃く残っているのは自覚します。最後には基本が大事と聞き、基本が身につくように手紙を書くことや言葉で伝えることを練習しようと考えます。
ビデオ講演会では、今月の三日間の高句麗伝説や、1/2京都のロームシアターがどれほどの意味があるのかを良くわかりました。行く価値があるなどという言葉では軽すぎて、他に何をもってこれから生きる方向がわかるのかと感じます。俗世に触れれば、終わりゆく生き方であるのは自明のことです。今はなんとか無事に毎日を過ごせても、自分のこともわからず、次にどうして良いかもわからず、子供にどう生きていけば良いかを教えることもできず、その状況は時と共に悪くなっていく生き方の中で、不安を感じることさえ麻痺している人に、新しい生き方を伝えるには、よほど頭が良くないと負けてしまうと感じます。先生が始められたまま、天才養成講座と言っていただけるようなっていきます。ありがとうございます。