天命
家から高台寺のバス乗り場までのタクシーは、期間限定でヤサカタクシー(三つ葉マーク)1200台中2台しか走っていない「双葉タクシー」だと、運転手さんに聞き、とても運がいいですと言われ驚いて、降りて喜んで人に話した時に、いだき講座を受けられた確率は、600分の1どころの確率ではないと考え、自分がどう生きるかを考える迎賓館への道でした。コンサートでは、第一音から涙が溢れ続け、何が起こっているのかは、わかりません。今まで良いと思っていたことが全て終わってしまうことが悲しいのか、まだ未練があるのか。感情では良くわからない感情です。はっきりしているのは、良いと思い描いていたことは成っていかないことで、俗世の成功と言われるものの虚しさをまざまざと感じ、あの嘘の世界を追求していくことは気が狂うほど耐えられないと感じます。そして本当に、もう戻れないんだと。完全に終わってしまいました。
昨日の、麗会の最後に高麗さんが「一人一人が存在を顕して生きれば、奇跡が起きると」とおっしゃったことを、何度も何度も考えていて、自分が存在を顕し生きるとは?を考えました。迎賓館では「高句麗の精神で生きる。天をこの地に現し生きる」その時が来ました。
到着した高麗ギャラカフェでの、エリカさんのカキ氷は、とても楽しく美味しかったです。この美味しさと美しさは格別です。
ビデオ講演会で、魅惑的なことは一見ときめくことであっても、続かないこと、その過去は終わったとお聞きしました。先生が、今日の迎賓館コンサートでは支配されてきた女の人を、やられてきた女の人たちをその支配から解放していく演奏とお聞きしました。(正確な言葉でなく、すいません。)
自分が思い描いた世界は、その支配の中や魅惑的な世界にあったことは明確です。
この後は、天のはるか向こうの世界を表し生きる時とも、お聞きしました。
明日、幻の高句麗カフェ、サロンに参加させていただきます。
ありがとうございます。