天を祀る日に頂いた恵み
昨日は仙台の受講生仲間と偶然同じバスに乗り合わせ、新宿に到着しそのまま「東京高麗屋」さんに向かいました。
お写真通りの水色のマーブリングカーテンと、光を受け輝く「髙麗屋」の看板を拝見し、喜び溢れて中に入りました。頂いたバケットランチ、コーヒー、スイーツは美味しく、カップやお皿は調和し、集う人達は輝く笑顔でいらっしゃり、スタッフの皆さんは喜び働く、光の空間でした。
お食事を頂いてから、地下のギャラリーに身を運ばせていただきました。五女山の星空のタペストリーを拝見し、晴美さんの詩とお写真のコーナーの前に座らせていただきました。凛とした目元、鼻筋、きりりと結ばれた口元、正面からぶれない眼差しに、何て美しい方なんだろうと感じました。
それから、たくさんの高麗さんの詩集を開き、詩を読ませていただきました。五女山に行かれた時のお写真から、躍動する喜びに溢れた高麗さんの歩みと、豊かな自然が感じられました。古の高麗人の魂が、どれほど高麗さんの訪れを待ち望み、その時を喜んだかが伝わりました。
いくつかの詩に表現された「悲しみが愛にかわる」ということを、ギャラリーに身を置くことで感じることができました。
「狛江高句麗伝説」では、前半では頭がはっきり覚醒し、瞬間瞬間の先生の音と高麗さんの詩を、集中して聞くことができました。高麗さんの「いだき」という言葉、先生の太鼓のひとふりひとふりに、「いだき」「高句麗」がこの世に現れ出る時がきたことを実感しました。学校の先生時代に出会った子供達の姿が生き生きと思い出され、この子達の幸せの為にと働いていた自分の優しい心は真だったと実感出来て、涙が流れました。真に私は優しいいのちなのだと受け入れ、それを活かすことが真を現すことと感じました。
ところが後半になると強い眠気に頭が曇り、先生と高麗さんが命賭け、ただならぬ表現が生まれていると意識しているのに、頭の靄を祓うことができませんでした。そして、コンサートをお伝えする人達の状態は、これと同じと分かりました。先生と高麗さんが命をかけて表現されているその場にいて、ぼんやりと朦朧としている状態。私が今感じている状態の方にコンサートをお伝えするのだと分かりました。と同時に、私自身もまだコンサートをお伝えする自分の立場を分かっていないと感じます。
やはり、今回いただいた11月1日仙台コンサートに向けた活動は、新しい生き方を身に付ける尊い修行の場となる、もの凄い恵みであると知り、動くいのちとなります。
ありがとうございます。