大転換の時
父は95才で旅立ち、母は来年の1月11日で99才になります。母はディサービスに週3回楽しく通い、週2回ヘルパーさんにお掃除に来てもらいながら、近くに住む妹に録画してもらうテレビを好きなように見て、ひ孫や妹家族と一緒に週末には外食もよく楽しんでいます。まだなんとかひとりで暮らしていれるのは妹が母の近くにいてくれるからですが、父は生前、苔が生えるまで生きるとよく冗談まじりに言っていましたが、その割には家族からすれば早くに亡くなってしまったような感がします。そんな両親のおかげか、死ということは遠くにありました。まだ30代の頃、プロの占い師に占ってもらえる縁がありました。指紋占い、手相、名前、と総合的に占ってくれました。初めての占いの結果は、あなたは生命力が人一倍強く、例えれば、飛行機事故に合い、ひとりかふたり生き残るとしたら、そのひとりになるでしょう。というものでした。その代わり、中年以降にならなければ運が開けず、困難があるでしょう。でも必ず起き上がりとても頑張り屋で成功する指紋だから、どんな困難があっても死んではいけない。そう占い師に言われたことをよく覚えています。…と、いうことは、死にたくなるくらいな困難があるのだ。と。その後、記憶では、たぶん、いだきに出会えたのかも知れません。私にとり最大の生命力はいだきに、先生と高麗さんに出会えたことが占い師の占いのことだったと感じています。そんなこともあり、自分にとり死は遠くにあったと思っていました。
しかしです。いつも頭のなかで想定していたことは、死ぬ間際に後悔しないことです。だから継続する。後悔するような生き方はしないようにする。いますぐ死ぬかも知れないという死と隣り合わせのような恐怖ではなくとも、人生の最後は死でした。死があるから生きて何をするのか。目的地は死であると、コンサートのメッセージより今ははっきり気づかされました。その死の壁がコンサートを経験させていただき無くなっているとは、その奇跡をアントレプレヌールサロンでしっかりと受け止めました。
そして日本語をちゃんとわかる感性を養っていく大事さもです。あれだけ先生が言われていたことがなかなかピンとこなかったことは長いこと日本語が苦手という意識が定着していたからですが、コンサートでは先生のピアノの音に日本語の音の世界を感じています。
今日はマーブリングの素敵なキラキラがついた上着をいただきました。鏡に映った姿をみたとき、コロナ禍にあり遠のいていたことを来年にはこのマーブリングを着てやってみたいと生まれました。
いつも要にあり、要に身を運べるように生きていくことがこれからより大事になるアントレプレヌールサロンです。
いつもありがとうございます。