大自然
自分を疎外しているもの全て乗り越えていく そのために生きている 生かされている
8月19日の克哲市の食と健康の講座から始まって、存在論、高麗さんのビデオ講演会、そして昨日の応用コースと参加できました。今にしてみると頭はすべてを分かっていませんが頭でわかろうとすること自体が違っているのではないかと。先生の言葉すら聞こえなくなります。聞こえているという意識はどこかで自分を疎外しているのでしょうか。
応用コースのピアノはうく言えませんが何かがガラガラと音を立てて変わっていくような。。応用コースは何百回と身を置いてきましたが京都の町すら超えてどこに身を置いているのかがわからなくなるような体感。過去も未来もない今、という次元。
新たな人生の幕開けを自然が祝ってくれているかのような帰り道の空、虹。、海の色、さざ波の美しさ、そして最寄り駅に降り立った時の雲の色は忘れません。ちっぽけな自分を忘れて、バスで一緒だった人とはじめてあったのに昔からの友人のように語り合ってじゃあまたねと別れたら、空には月が出迎えてくれていました。
今日迎賓館で何が起こるのでしょうか。