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大自然とひとつに生きたなら


第一部「他なる存在」

はじめに自然があります。
我々は自然から誕生し、
自然なくしては命を長らえることはできません。
自然を破壊しながら皆で生き続けることは
いつまでできるのでしょう。
今まで、現在も、人は人の命を奪う為の武器を作り、
尊い命を奪ってきました。
これ以上の反自然的なことはないでしょう。
他の存在どころか他者を抹殺することが、
いかようにしてすぐ身近にいる他者と交われるというのでしょう。
自然は人間の認識を超えた存在であります。
しかし、もうなかなか自然をありのまま認識できないことに
なっているのではないでしょうか。
連日の猛暑、豪雨のニュースは何を物語るのでしょう。


第二部「自然といえば」

自然といえば第一に何が浮かぶでしょう。
山が浮かび、都市ではなかなか見えない星空とか、
広大な海、などなど。
もちろん、その中で動植物という沢山の生き物がいます。
目に見えない微生物がいます。
さらに微細なウィルス等々がいます。
これら様々な自然のうちに哲学的にいえば「理念」があります。
更にいえば「理念」は意識化できますが
人間には無意識という世界があります。
フロイトによると本能的な欲求や衝動、すなわち「イド」があります。
「イド」は快楽原則に基づいて行動し、苦痛をさけ、快楽を追求します。
さて、現在の我々は。

何かが起こる予感があり楽しみにしていた狛江でのコンサートです。とても不思議な気持ちで本番を迎えました。メッセージを心にしました。ちょうど、会場に着いた時に先生からパレスチナの本をいただき、少し目を通していました。今日のコンサートメッセージは心に沁みます、悲しみも深く感じ、いいようのない気持ちが込み上げます。先生の演奏からは大地に埋もれる無数の報われない魂や生き物の悲しみを感じ、深い悲しみを感じました。何かドームの中にいるような感覚が苦しく、こんな世界では生きていけないと心の中で叫んでいました。この世界は何か、私は何故この世界を感じているのかを問いました。自分が描いたようにならないと嫌になったり、思うようにしたい思いばかりがある世界でした。ここは頭が作った世界かと感じましたが、本来の人間が生きる世界ではないとははっきりとわかります。メッセージに書かれていた人間の生命を奪う武器を作り生命を奪っている反自然的なことと生命をもって感じました。ふと今日のタイトルは「他なる存在」と気づいた瞬間、光差し込み、次元が変わりました。一気に「生きる」世界へと飛翔しました。そして遥か彼方の光が見え、おおいなる存在に出会いました。自分だけで生きている訳ではないとは重々わかっているつもりですが、生命をもっておおいなる存在と生きることを体感でき、希望に満ち溢れました。ここでなら何があっても生きていける力が湧いてきます。深く感動しました。

第2部は自然の中にいるようでした。かといって私の知らない自然の世界がほとんどです。時には海の底にいるのかと感じたり、地球を抱く世界であったり宇宙までも飛翔している感覚になる時もあります。ふと人工的に作られた社会で生きているから今のような性格や感性で生きていますが、自然の中で生きていたら私は何を感じ、どのような感情を抱き、どのような感性であっただろうかと考えました。今のようにちっぽけには生きてはいないとは想像がつきます。もっとダイナミックでおおらかで、誰の生命とも交流し合い生きているでしょう。フロイトのいう「イド」の意味を考えました。とても綺麗な図形が見え、大自然とひとつに生きたら、生命輝き美しく生きている光景や図形が見えました。今日のコンサートで自然とひとつに生きる経験をさせていただきましたので、これからそう生きていけることがうれしく感じます。人工的に作られた社会で生きる感性も性格も作り物と感じ、本来の生命のはたらきのままに生きてみたい気持ちが生まれます。きっと今ある問題もなくなると見えたことが希望です。大変素晴らしく、異次元を経験させていただき、知ることもなかった大自然の中に身をおいた体感がとても自然で豊かでした。アンコールで経験しました「愛」が生きる要とは生命全てでわかります。一人一人が自然とひとつに生き、尊い生命が失われていく世界を変えていきたいと切望します。世界を変えるコンサートです。一回一回かけがいのない経験をさせていただいています。ありがとうございます。

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