大事な日に
内的環境が外的環境となるということが深く響いた「高麗恵子語り―人生」の講演会でした。80年前、広島に原爆が投下された日にお話を伺え、先生のコンサートを地方で開催したのははじめてだったという広島の地で、高麗さんがチケット売りを通して、暴走族の男の子たちや塾の社長さんや、色々な方と出会い、完売されていかれたお話しはまるでその場にいるようで楽しくもとても感動しました。チケット1枚1枚…販売されるごとに場が変わっていった空気さえ伝わるようでした。おひとりの生命に担われる歴史、世界ではじめて核爆弾を投下されたということ、先生がコンサートで表現され、引き受けられ解放されていかれるあまりの尊いことが身に沁みました。高麗さんの著書「本音で生きて下さい」にあります、先生のコンサートの後に被爆後、芽が出なかった木から何十年後に芽が出てきたお話しもこころに蘇ります。先生のコンサートを涙を流して聴かれた赤ちゃんのお話しから、悲しみがその土地とひとつとなってしまっていると、悲しみが身に付いたまま、悲しいということはわからなくなっているということは改めての理解となりました。あまりに人はわからなくなっていると色々なことが浮かび、人のことをわからなければと感じたお話しでした。
京都でのシリアの映画の上映会でシリアの大使がおっしゃっておられたという原爆のこと、先日もイランがイスラエルに攻撃された時、原爆が投下された唯一の国、日本が国際社会にきちんとものを言っていくことは大事であるとテレビでイランの大使がおっしゃっていたのを様々な放送局で発言しているのを見ました。このことを見た時、いわゆる自虐感が自分の中に刷り込まれるのをはじめて自覚し、はじめて日本人として、自分のことばにすることをしました。
講演会では、エチオピアの「天命」コンサートのお話しから、コンサートで内面が変わり、あらゆる境がとかれ、男女の性差も超え、高麗さんがご経験されたことから内面変わり、とりまく環境が変わっていくというプロセスはとてもリアルに生命で聞くことができた体感で、以前に増して意識化できました。天命コンサートの先生の趣意書の「新しい精神の誕生」ということばに、精神ということばを、先月のいだきしん先生のお話しを経て、新しく捉えはじめてきています。
5日の三鷹でのいだきしん先生のコンサートは、生命に深く染み入り、負った傷を清められるように流れ、ただやさしく、共にあり続けて下さることに感謝しました。二部のメッセージは、2日ほどそのことでろくに眠れず、苦しかったのですが、起きていることもよくわかり、比較などしようものなら存在からはなれてしまうとよくわかり、コンサートでは内に集中すると具体的な案が浮かんでいき、ひとに役立てることが見えてきました。美しくありたいこともわかり、希望がみえてきました。
高麗さんが皮のブックカバーのノートにいのちの言葉を表現していくこと、ひかりの言葉を表していかれたとき、世界に繋がって影響していくお話しは希望を感じました。外を意識してと内を意識してとは対照的に、内面を意識することばは、残るものがなく、それこそ比較もありません。先週より、いだき講座をある方にお伝えしていたのですが、業と対峙するようでありながら、生命・魂は導かれているのを感じます。自分にあるものや問題とも重なり、向き合い、あり方を改善していくことも示されます。とても尊いことです。昨日は帰宅した後、ビデオ講演会を聴き、人にお会いして伝えていくことに可能性を感じました。尊いいだきしん先生のコンサート、高麗さんの講演会と機会を心より感謝いたします。ありがとうございます。