大きな気づき、解放
応用コース後の夜は、私の目には黒いものが見え、蠢き、ざわつく夜でした。最近は眠れるようになりましたので、久しぶりに寝付きが悪く、少し眠ってもすぐに目が覚め、とても不快な一夜を過ごしました。そして朝方は、兄が夢に出てきました。言葉が噛み合わず、生きている世界がまるで違うことを感じ、辛い気持ちで目覚めました。そして時折夢で見る古い煤だらけの高麗家の夢も見ました。自分で働らいていますので、家を出ればいいのに、母の為に居心地の悪い煤だらけの家から出ていけずにいながらもほとんど家に帰らずに変な暮らしをしている夢をよく見続けるのです。夢は自分の生きている状態であったのだと初めて気づきました。まさしく昨日の応用コースでお話をお聞きしましたノモスから解放されたことを自覚しました。私にとって古い煤だらけの高麗家と兄がノモスであり後頭部に取り憑かれていたように縛られていたということに気づきました。12月のある時のコンサートがおわった瞬間、突然後頭部が痺れ、違和感を感じ、何かが取り憑いているように感じ、何故かと考えていました。最高の経験をさせていただきましたコンサートが終わった瞬間でしたので、取り憑かれているのではなく、他の意味があるのだと考えていました。このことはビデオ講演会でもお話しさせていただいていました。ノモスであったと今日は、目が覚めるように気づきました。先生からも自由に生きているようであっても兄に縛られ生きていたとおっしゃっていただき、深く合点がいきました。故に、未だに家を出ていけずにとても半端な状態で暮らしている夢を見るのです。生きている状態を夢で知らされていたのだということに気づくと、私が生きている状態は夢に見ている通りの状態であったのです。ノモスについて先生からお話を伺い、解放していただいたので、初めて気づくことができました。今日の道中は、深く寝入ってしまい、起きた時にはあれもこれもとノモスによって縛られ、制限、制約されていたことが見えるようにわかるのです。高麗家の煤払いの大掃除をしている夢は、講座やコンサートにて素晴らしい経験をさせていただた後によく見ていました。夢であってもまだ高麗家のお掃除をしなければ行けないのかと、ため息がでたり、家を出て、一人暮らしをすればいいのに、家にいながら家には帰らないというなんとも半端な生き方をしている感覚がとても嫌だと感じるのです。現実は、すでに40年も前に家を出、生きているのに、ずっと家を出ていない夢を見、感覚的には居心地が悪い状態は、家にいる頃と同じなのです。まさかずっと取り憑かれ、縛られていたとは考えも及びませんでした。やっと気づき、解放されました。やはり今年は飛躍の時です。後頭部にノモスが張り付いている状態では飛躍できません。とてつもないことが起こっています。良い経験をさせていただいた後に夢を見るのは、解放していただいていた故ともわかり、講座、コンサートの経験がなければ生涯気づくこともなく、首根っこを掴まれ、後頭部を掴まれたまま生きていたのです。それでは何の為の人生かわかりません。イエスキリストも当時の律法と戦い、十字架に架かったことを先生からお聞きすると、ギリシャから始まったノモスと戦えば死ぬよりないことに身が震えるほど恐ろしいと感じます。この世では生きていけないのです。この世では敗者となると応用コースにてお聞きしたことがイエスキリストの十字架を考えますと胸が引き裂かれる悲しみを感じながら、ノモスのことを身をもってわかるのです。長い歴史の中でノモスと戦った人は敗者となってきたことからもノモスが意味することが身にしみわかります。敗者となっても戦ってきた御方がいらしゃったので人間はピュシスを考え続けることができたとのお言葉には感動し、感謝あふれました。真に多くに気づき、多くを学ぶ道中でした。眠っては解放され、今まで考えてきたことの答えを得るのです。「呪い」のお話もありましたが、私がかろうじて先生に出会えるまで生きてこれたのは、言いたいことは言ってきたからと気づいたので、先生にお話しさせていただきました。先生は言えても通じないので、言っただけおかしい人間と思われるとおっしゃいました。真にその通りでした。言うだけおかしいと思われるのです。そして確かに言わなくなり、死ぬよりない状態となって行ったのでした。生命ギリギリで先生に出会えましたことは何度考えても奇跡と感じます。先生が解かれ、解放してくださることは人類史上初であるということを生命を持ってわかりました。私たちは講座、コンサートの場に身を置かせていただくことで解放されていくのです。大変畏れ多いことであります。この経験をし、6日は府中でのコンサートが控えているのです。今年は飛躍、実現の年です。真にありがたく、一日1日を大切に生き、働いて参ります。ありがとうございます。