大きな樹の下で生かされる命
高麗さん、もう昨日になってしまいましたが、お誕生日おめでとうございます。
そして狛江の高句麗伝説をありがとうございました。
開演を待つ前の上映スクリーンに魅せられるところから高句麗伝説はもうはじまっていました。緑、青、黄色、の色が交差する図形のような不思議なスクリーンに高句麗伝説の宇宙をすでに感じていました。これからを生きるうえで外せない狛江高句麗伝説はときめきからはじまることに先生や高麗さんのやっていらっしゃること、アントレプレナーとしての基本を学びます。高麗さんの声が冒頭から際立って聴こえ、先生のシンセサイザーから放たれる重低音に生命の力が溢れ躍動感からはじまりました。次々と言葉を生み出される高麗さんの声に、おん、ということを今日初めて知りました。言葉のもつ力がおんそのまま伝わってきました。ことばは命、ということと、おん。生きる存在が顕われる日本語のもつおん、長いことわからなかったことを感じられたことがこれからどのように身になっていけるのか、未来が一つ近づいてきたような気持ちです。
生命の樹、中心に立つ樹、宇宙につながる大きな樹、自然に受け入れてもらえる存在、そして先生の音はどこまでも命のうちに働きかけてくださって、それもとんでもないパワーで、弾き飛ばされるというどころか、異次元異空間の真っ只中を経験させていただいている躍動感とよろこびと感動の嵐のなか、身体は、とくに、右脚に鳥肌が立つのです。
高麗さんの一言に、突然目が覚めたようにわかったことがあります。ずっと高句麗伝説でおっしゃられていたことなのです。先祖の代表で出会わせていただいたこの命。先祖が生み出してくれた命。存在。それが私の生。ずっと何世代も何世代もこんなはずではなかった・・・と、その思いの結集が生み出してくれた命。今日ほど明確にこのことをわかったことはありません。こんなはずではなかった、と終わらせてはいけない命を持って生まれたことに間違いはありませんでした。今までどこかでわかっていてもそらすように働きかけてくる意識に疎外され続けてきましたが、狛江の高句麗伝説で、大きな樹と相応し、ラストのアンコールではまるで高麗さんが私の気持ちを代弁くださっているようにさえ感じていました。命は、こんなはずではなかった、というような終わり方をしてはならないのです。
その連鎖を断ち切るために生きていく。
明日の三鷹の高句麗伝説はさらにどのようになっていくのでしょう。。。
狛江の高句麗伝説をありがとうございます。