KEIKO KOMA Webサロン

大いなる存在の時代の幕開け


第一部「愛するということ」

「愛するということ」と言えば、エーリッヒ・フロムが1956年に書かれた
「愛するということ」をおもい浮かべる方がいらっしゃるでしょう。
「愛するということ」は英語で”The Art of Loving” です。
Art を「技術」と訳されています。
「技術」といえば Technique という言葉もありますが意味はまるで違います。
愛はテイクニックぐらいにとらえている不逞の輩が多いです。要注意です。
Art を技術といっている場合の技術は人間性あってのことです。
さらに、愛されるという受け身の時代ではなくなってしまいましたので、
愛するという Art(技術)の、そのさらに内面的人間性をあらわします。


第二部「愛の場」

丁度30年前のこと、1993年6月12日、両国国技館にて「森林は愛のフィールド」と題したコンサートを、バイオリン奏者ダロル・アンガー氏、弘前ねぷた太鼓との共演で行われました。それからすでに30年経ち、地から螺旋を描いて上昇拡大するエネルギーは宇宙空間と融合し、止まることなく今日を迎えました。「愛のフィールド」を今一度という気持ちはありませんが「愛の場」なくして真の愛は営めません。森林の生命の場と宇宙との交流により正真正銘の精良な「愛の場」が展開しています。戦争などして幼子はじめかけがえのない生命を奪ってはなりません。地球の自然をこれ以上傷つけてはなりません。

これ以上求めるものはなく、究極の愛、究極の真、究極の感動を経験させていただきました。大いなる存在の時代の幕開けです。今日のコンサートは只事ならぬことが起こると予感し、皆様と共に経験させていただきたく、たくさんの方々にお声かけさせていただき、お越しいただき、共に経験できましたことも大いなる喜びです。ありがとうございます。

第一部「愛するということ」とのメッセージをお聞きした時、なんとタイムリーであるかと驚きました。そして喜び溢れました。いだき講座にて運命を解放され、母の体内に発生した瞬間の光を取り戻しました。私は真の自分の光と表現していますが、やっと真の自分の光のままに生きられる時代を作ってくださいました11月15日の三鷹でのコンサート以降、時代はすっかり変わったのです。そのことに気づかずに過去の価値観や霊界に引っ掛かっている状態で生きることなど今後はできる訳がないと見えていましたので、皆様にお伝えし続けさせていただきました。まさに今日のコンサートにて合点がいきました。完全に光のままに生きていける時代が拓かれていることを生命をもってわかりました。光のままに生きていける時代となり、始まりは「愛するということ」からなのだとメッセージをお聞きし、素晴らしいと感じ、震えました。演奏から分かりたく必死でお聴きしましたが、11月15日のコンサート以降、京都コンサート、迎賓館でのコンサートでは今までのような聴き方では心地よいばかりで、自分の内面に何が起こっているのかがわからずに焦るのです。表層の意識では先生の表現は分かりません。肝臓で聴かせていただくようにし肝臓を感じるように聴かせていただくと、求めてやまない人間とは何かが深くわかっていけるのです。今日も心地よさに包まれながらも何が起こっているのかがわからずに、焦りました。肝臓を感じるようにし聴かせていただきました。今朝からの頭痛を感じました。いつも死にそうな人や終わりそうな人に会うとズキズキと痛むところが、今朝から痛んでいました。この時もこのズキズキする痛みを感じていると、肝臓に神観念の限界が見えました。自分で作った神観念は不自由で、制約ばかりがあります。限界であることは自覚はしつつも幼いことから身についていて、なかなか変われないと自覚していました。愛するということも神観念が壁となりはだかり、受け身であることも自覚しました。愛するということは大いなる存在と繋がり、生まれた気持ちを表していく時にわかることと感じました。壁となりはだかっていたものはとけ、はるか彼方と繋がりました。宇宙と一つの生命を感じ、中心には「あ」という状態がありました。そして自由に生き、輝く「い」という状態が見え、「あい」を経験しました。その時、愛でない状態で生きる人を変え、愛に生きれない世界を変え、人間とし生きていける世界を作っていくことが私にとっての愛するということと受け止めました。とても深く、「愛するということ」を問い、考えるかけがいのない経験となりました。

休憩時にウクライナの方にご挨拶に伺うと、演奏の素晴らしいことに感動しておられました。そして先生のお着物もいつも美しいけれど今日のお着物はまた素晴らしいとおっしゃっていたことには驚きました。今日は最高品質の総絞りの着物です。ウクライナの方がお分かりになることはとても嬉しいことでした。日本の文化を共に楽しめることは素晴らしいことと感じます。

楽屋に戻ると、先生が廊下に出ておられました。私に分厚い封筒をくださいました。シリア難民物資、レバノンの孤独死を防ぐ建設資金にと多額のご寄付をお渡しくださいました。私の胸は感動と感謝で一杯となり、涙で一杯となりました。ちょうどビデオ講演会にて赤子や子供、女性の生命を奪う戦争は一刻も早くやめるべく皆で動くことが人間であると話していたのです。先生のような御方がおられるので苦しみ、悲しむにある方々も生きていけると胸一杯となりました。そのまま第2部の演奏を聴かせていただきました。ある瞬間、私には大いなる存在と国創りの神、国創りの魂が一体となり、宇宙の生まれる三段階前の光を宿す先生の存在と一つである場面が見え、身が震え、魂震え、涙が自然と流れて来るのです。涙は流れ続け、止まることはありませんでした。生きてこの瞬間を経験できることは奇跡です。なんという人生でしょう。これほどのことはありません。その後は高句麗を感じる演奏に続いて涙よりありません。高句麗の美、高句麗の愛、高句麗の永遠、全てありました。感動の極みです。そして私は、子供の頃より祈り続けてきた世界の平和は実現できると確かな手がかりを得ました。やる気に満ちています。遥か彼方と一つになりました。高句麗発祥の地、五女山にて雲海を眺めた時、2000年前に東明王様が眺めた雲海のはるか向こうに心馳せ、いずれの時に雲海はるか向こうが拓かれる時、人間は人間とし生きることができ、人間が生きられる世界がつくられると受けたメッセージが蘇りました。今この時は代々の高句麗王が求め続けてきた天の遥か向こうが拓かれ、遥か彼方は自分の内に共にあるのです。平和は成ると見えました。なんという時代に生きていることでしょう。先生に出会えた人生の意味は歴史的であり、人類史上初めての悲願を成していける人生です。先生の存在が現る演奏に身も魂も震え続け、涙が流れ続けました。求めていた全ての答えがありました。それも求めてはいても何かとは想像することもできない遥か彼方の答えです。経験し初めて、このことを求め続けてきたとわかるのです。大いなる存在の時代の幕開けです。必ず成して行くと、大いなる力に満ちています。ありがとうございます。

 

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