夜明け
闇の中を彷徨う日々が続いていました。コンサートを経験した後にも関わらず暗い気持ちで家路に着く日も何度かありました。それと同時に、幼少期から続いている運命の輪郭がおぼろげにも見え始めていました。
幼少期から、社会の縦の関係の中で、遊び友達、教師、運動部の先輩などの年上の男性から社会的な立場を利用するなどにより受けた不当な扱いにより魂に多くの傷を受けてきました。けれども、それを自分の弱さとして覆い隠し、自分の本当の気持や感性を外に表すことを恐れながら、時には自分の気持ちを偽るなど、生命に反しながら強がって生きてきたことを最近ようやく認めることができました。
このような状況を招いていたのも、自分の運命が原因であることをようやく受け容れることができました。講座2日目に高麗さんから伝えられた運命をメモしたノートを開きました。全部で30以上はありました。それらをひとつひとつ眺めていると、それぞれが単独で存在するのではなく、数珠球のように繋がり、同じことを繰り返す運命のスパイラルが形成されていることに気づき、背筋がぞっとしました。
例えば、受講時の状態は、自分をわかってもらえず、他人に抑えこまれ、自分の気持ちを抑えこむうちに、自分の気持ちもいつしかわからなくなり、出口のないまま同じところをグルグル回る、というものです。両親にわかってもらえなかったことも多かったのですが、両親もまた運命に翻弄され、比較的若くして病に倒れこの世を去ったことを考えると、今では胸が痛みます。
受講させて頂いた自分の生命は、両親とは全く異なることは明らかですが、繰り返している過去がいまだにあります。そして、そのひとつに「わかったつもりになる」というのがありました。ちょうど、前回の狛江の応用コースで先生に「わかることから逃げている」というご指摘を受けていましたので、その意味をずっと考えていました。そのような中、先日の渋谷のコンサートの第一部「人生」において、ものごとをとわかることで運命が開かれ、内面豊かな人生が実現すると感じました。これまでの人生で、「わかる」ということに真摯に向き合ってきただろうか、そのような気持ちで昨日の府中のコンサートに臨ませて頂きました。
第一部では、開始早々から異次元の世界へ引き込まれました。暫く遠のいていた体感でした。背中がしっとりと汗ばむのを感じました。そこに英雄的な存在が感じられました。猛々しいというよりもやさしい英雄でした。暫く遠のいていた、神性の顕る経験に深く安堵し、次の瞬間には大きな感激に変わりました。そこには縦の関係に支配された社会とは無縁な愛の世界が広がっていました。感じるままに、その心地よさに安らぎを経験しました。そして、これまで自分が歴史的なものにより負った傷を弱者の象徴として認めることができず、強がりながら、数年前までは、そのような残酷な社会の中で上からの力に屈せぬようにと、尊い生命をすり減らしながら生きてきてしまった不毛な戦いの日々が想い返され、自ずと頬をつたうものを感じました。
第二部「天性」は、わからないながらも、光輝く底知れぬ大きなものを感じました。演奏が始まるとすぐに畏れ多い存在を感じ首を垂れました。その後、揺らぎのような心地のよいピアノの演奏から、広大な海洋の水中にいるような体感がありました。上方から降り注ぐ光が水の流れにてゆらめき輝いていました。くらげのような得体のしれぬ海洋生物になった気分で、ゆらりゆらりと、砂が長い時間をかけてゆっくりと海底に沈み堆積するように、漆黒の深海の遥か下方に静かに沈んでいきました。地球に底があったとしても、そこには宇宙に通ずる底知れぬ深遠さがありました。その後、場面は変わり、地平線から陽が昇り、輝かしい光が差し込む、新たな始まりの兆しを感じました。
ありがとうございます。