多賀城コンサートをありがとうございます。
いだきしん先生、お誕生日おめでとうございます。高麗恵子様、先生のご家族の皆様、スタッフの皆様、会場にてあたたかくお迎え下さり心より感謝申し上げます。連れと宮城の友人と多賀城コンサートに参加させていただくことができました。会場に集う方々に圧倒されてしまうのか、最初友人はとても表情が強張っておりましたが、席に着くと「多賀城ホールで、こんなに人が集まったことを見たことがない。」と仰り、コンサート終了後には、ニコニコされて、3人で久しぶりに楽しくお食事もできました。故郷沖縄では戦没者慰霊の日を迎え、祈る気持ちで会場に向かいました。どう表現すればよいのでしょう。表現せずにはおられず書き込みさせていただきます。コンサートの時、私の内できらめく球が突然に真っ二つに割れたかと思うと、すごい光を放ち広がり、驚きました。声をあげそうでこらえていました。しばらく涙溢れました。今は元気に生きてくれていますが、生後間もなく入院ばかりであった息子を感じ、「生き抜いて。」と言葉になっていました。母のお腹にいたころを再び思い出しました。講座2日目の後、私は3日程寝込んだことがありました。起き上がるころには心身軽くすっきりして、体はフラフラしていますが、明るい気持ちで「お腹がすいた!」と台所に立ちましたのに、突然胸が苦しくなりしゃがみこんでしまいました。その時、目の前が真っ暗になり、母のお腹の中にいる自分がいて、胸が苦しくてたまらないのに、母が両手でお腹を抱えて椅子に座っている姿は、私の事でなく全く別の事を考え、大変に暗く悩んでいるように見え、(助けて!私はこんなに苦しいのに、なぜわかってくれないの!)と泣き叫んでいました。しばらくして落ち着きまして、私の勝手なイメージが働いているかもしれない、いだき講座を受講させて頂いているのだからと、どこか心に引っ掛かりながらも、どうにか忘れようとしてきました。私の内には割れた鏡のような、記憶の欠片のようなものがたくさん散らばってあり、時々何か映るようにしてくるので、何だろう?と気になり散らばった記憶の欠片を繋げてみようとするのですが、こだわると鋭利な部分で体を引き裂かれるような苦痛をを伴ってくるのです。このままでは気が狂いそうで、壊れてゆきそうで、記憶の数々をかき消したくて仕方なくありました。数年前より、徐々に私の出生や家族についての隠されたことが、顕になってゆき、あの時見えていたもの、母は私を生み育てようとしたことを大変に迷っていたことが現実としてわかりました。記憶の欠片として気になっていた数々の事も、本当であったと、パズルのように記憶がどんどん繋がってゆくのです。悲しい事も知ることになりましたが、それでも私は壊れないでいられています。今回のコンサートでは、再び母のお腹にいた時のことが見えましたが(どうしてもこのような表現になってしまうのですが。)胸に激痛が走ることも、気が狂うと取り乱すことは無く、静かに母の事を想いました。先生の演奏は、明るく広がる世界へ、私の背中を押して下さっていました。いだき講座やコンサートを経験させていただくことは、過去の辛い事を、前を向くことで、記憶喪失のように忘れてゆくことだと思い込もうとしていました。忘れることでなく、辛かったことも超えて生きてゆく力が漲ると、経験させて頂きました。果てしなく深い学びと、素晴らしい経験を、心よりありがとうございます。